今回の記事はちょっと重い内容です。治療をしても回復が見込めない肝硬変末期の患者に対して、延命措置をどうするかという問題です。
義兄に関する「不幸の報せ」はいつも、ある日突然やってきます。一昨日、「▲▲病院です。○○さん(夫)はご在宅ですか?」と一本の電話。夫は仕事に出て不在だったため、一瞬、夫の身に何かあったのかと不安が襲いましたがそうではなく、また義兄です。
もう何度目かも忘れるくらい”また“です。しかも回数を重ねるごとに頭が痛くなる内容。そして最終的にはいつもこちらが裏切られる、その繰り返しで今まできました。
かなり悪い状態での入院
ざっくり言えば、その日に別の病院から転院してきて、今は▲▲病院にいる。身内である弟さんと今後について話がしたいとのこと。
瞬時におおよその見当がつきました。詳しくは以下に記述しています。
「かなり悪いんですか?」と質問したら、「悪いです」と即答。
すぐさま夫の勤務先に連絡を入れ、夫は病院に向かいました。
肝硬変末期の余命宣告
医師の説明によれば(前回運ばれた病院で診断されたのと同じ肝硬変ですが)黄疸や腹水といった末期症状があり、もう手の施しようがないくらい悪化している。膵臓も溶けていて、どちらかの治療をすればどちらかが悪くなる。かつ、脳の萎縮もあるとのこと。
医師は「もう自宅に戻れる可能性はない」と、ハッキリ言い切ってました。
こちらに対する質問は、(そんな状態なので)延命措置をするかどうかについて。一度その器具をつけてしまえば外せないので、早急に返事をしてほしいといった内容です。
「そんな重要なことを、瞬時に判断して答えを出せだなんて…」
人の命の決定権がYES、NOだけで決まってしまう…。どちらを選択しても地獄が待っているような気持ちになりました。同時に昨年からのドタバタが頭をよぎって、やり場のない怒りもこみあげてきました。
命は自分だけのものじゃない
延命措置に関しては、「自分の命をどうするか」という問題なので、患者である義兄が自分の意思で決定すべきこと。しかし医師は義兄とのやり取りの中で、それが無理だと判断したのです。もちろん本人は意思表示カードなんて持ってないし、話をしても噛み合わない。だから家族であるこちらに聞いてきたわけです。
結局は家族か。完全に独立した別世帯だというのに…。どこまでを家族と言うのでしょう。
「オレの命だからどうしようとオレの勝手!!」なんて言ったところで、いや、そんな大口叩く人ほど自分の勝手にできたためしはない。「オレは誰の世話にもならない!!」という人ほど、イヤというほど人の世話になっている。
「医者なんてアテにできない!!」と医者の指示に従わないくせに、苦しくなれば医者に助けを求めてる。
そう考えると、なんだかんだ言ったところで人の命はその人だけのものじゃないと痛感します。同時に人は、自分一人では絶対に生きられないとも思うのです。だから強がって、大口なんて絶対に叩くものじゃないと、つくづく思います。
延命措置について考えてみた
ところで延命措置。私はこれまで差し迫った経験がないから、あらためてその必要性を考えたことはありませんでした。
ただ先日亡くなった母は、数年前に誤嚥性肺炎を発症。口から栄養を取れなくなったので、同居していた兄は胃ろうという手段を選び、結果的にはそれから何年も命をつなぐことができました。
兄は「大変だったけど自宅で看取れたから悔いはない」と言ってました。兄への手前、口出しこそはしなかったものの、「母はどうだろう?」と考えることはありました。「生きい?それとも生かされたい?」と。
自分で選択もできず、無理やり生かされて横たわっているだけの母。いちばん大切な本人の意思がない状態で、なぜそういうシステムが存在するのか?みたいなことまで考えました。
また母のように、生きる選択も死ぬ選択も自分以外の人が決めて自分には決定権がない状態であれば、「自ら死を選ぶ人なんて傲慢だと思うだろうな」なんてことも、ふと頭をよぎったりして…。
生きることって何?
私は、機械的に心臓が動いているだけを「生きること」とは思っていません。自分で考え、自分の意思表示を自分でちゃんとできることが「生きること」だと思っています。
だからもし「自分なら?」という前提で考えた場合、苦しみを減らすための治療は望むけど、最期は自然に任せて、自分らしくいられる状態のうちに終わらせてほしいと望みます。
けれどこれはあくまでも、今、健康な状態である「私なら」であって、義兄はどうなのかわかりません。それでも命の決定権だけをこちらに委ねるというこのシステム。なんだか納得がいきません。
最後に
今回のできごとをきっかけに、誰もが必ず迎える自分の死について、日頃から家族としっかり話し合っておく必要性を感じました。
今までは「どう生きたいか」ばかりを考えてきました。でも順番が違うのかもしれません。「どう死にたいか」を先に考えれば「どう生きたいか」の答えがおのずと出てくるのです。ある一定の年齢を超えたら特に。
最後に、尊厳死を考える時に参考になりそうな書籍をご紹介して今回のエントリーを終わりにします。
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