Violet@Tokyo

【秀岳館問題】引責辞任という段原氏の責任の取り方

約4分



秀岳館暴行事件の発生からもうすぐ一ヶ月。この間学校側は右往左往していましたが、暴行をしたコーチは懲戒免職。段原氏は退職届を提出し、学校側がこれを受理しました。

急転直下の退職劇

意外や意外。当初は「解雇したら不当解雇で裁判にかける」と息巻いてたのに、急遽退職。いったい何があったのでしょう?

叩けば埃だらけの体。OBからの暴行証言や出会い系買春証言など、これ以上明るみになったらマズイことがたくさんある。嘘の塗り壁はもう限界。「もはやこれまで」と根を上げたのでは?などと、ゲスな想像をしてしまいます。被害者意識の強い人は自己保身にとんでもないほどの熱量をそそぎます。「いろんなことがバレてこれ以上ボロボロになる前に、早いところ逃げ出した方が楽!」

そんなにっちもさっちもいかない状態の中でたどり着いた決断、それが「退職金もらって辞めちゃお!」ということでしょうか?

「責任を取る=退職」とは便利な幕引き方法

秀岳館高校サッカー部を巡る一連の問題を受け、段原一詞監督が責任を取って退職。

日本の組織にありがちな行為。これまでも政治家や企業のトップたちは「責任を取る=退職」というスタイルでトラブルの幕引きをしてきました。一見潔く責任を取ったように見えますが、この件に関しては違います。

問題解決能力のない学校側は、トカゲの尻尾切りでケジメをつけたことにして、早いところ騒動の幕引きを図りたい本音が透けて見えます。しかし特定の誰かを批判するだけですむような、簡単な問題ではありません。責任の所在にしても監督やコーチだけにあるわけではなく、これで本当に「責任を取ったことになるのか?むしろ責任から逃げて有耶無耶にしているだけじゃないのか?」という疑問も残ります。

表沙汰になった人をちょん切るというのはこれまでもよく行われた手法ですが、例えば…。目に見えるカビだけを取り除いても、カビ菌はしっかり根を張っている。ゴキブリと一緒で「一匹見たら30匹はいると思え」と同じ理屈。形ばかりの幕引きだけで根本的な問題をスルーし続ければ、いずれまた時と場所を変えて同じことを繰り返すでしょう。

学校側の責任も重大

全ては密室での犯行。口では「暴力は根絶されるべきもの」と言いながらその実、 “バレたらマズい、バレなきゃ良い、バレない程度に” という具合に、暴力をやめられない思考回路になってしまい、それが許される環境がこの学校にあったからこうなったわけで。

このようなリンチが横行する環境を作り上げた学校側の責任も、けっして軽いものではありません。

「いかに怒られずに3年間逃れるかっていう。もう恐怖心です。(監督がいる)Aチームに行きたくない。BチームCチームいると(指導は)コーチなんで。Aチームに行っちゃうと何かあったら殴られるし。サッカーは嫌いになりましたね、僕は。」

元々はサッカーが好きで、親元を離れてこの学校に来て、Aチームに入ってバリバリやることを夢見たはず。それなのに「Aチームには行きたくない、サッカーが嫌いになった」というこのサッカー部OBの証言は、事態の深刻さ・異常さ・心に受けた傷の深さを物語ってます。この間の悔しさは尋常ではないだろうと、私もスポーツをする者として胸が痛みます。

もし本当に責任を取る気持ちがあるなら、全ての膿を出し切るのはもちろん、これまで泣き寝入りを強いられてきた被害者一人一人にきちんと謝罪するところから始めていくのが筋ってもの。それらをすっ飛ばし、「責任を取って退職」というのは有耶無耶にするための逃げでしかないと感じました。

最後に

それにしても次なる自爆者は誰だろう?

この学校には暴力を働くコーチがまだ数人いるという噂だし、まだまだこの学校には注目し続ける必要がありそうです。そして最後に。全国の暴力指導者たちは「明日は我が身」と思って、今のうちから首を洗っておくことをオススメします。

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でvioletをフォローしよう!

Pick Up


About The Author

violet
はじめまして。このブログを執筆しているViolet(ヴィオレ)です。
このブログは私が日々感じたこと、考えたことに独自の視点を交えて書き留めている忘備録です。読者の方に少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
Follow :