陰謀論も含め、新型コロナウイルスをめぐっては様々な情報が飛び交っています。
こんな記事が目に止まりました。母親が陰謀論を信じ込み、心を痛めている方の記事です。
近しい関係の人が荒唐無稽なトンデモ情報にのめり込んで、常軌を逸していく姿を見るのはつらいもの。それに比べれば私の場合は、陰謀論を信じる人がネットの知り合い程度の関係だからまだましかも。
彼女と知り合ったのは2005年。PVを気にするでもなく、「ブログで稼ごうぜ」的な野心丸出しというのでもなく、その時に興味のあること・日々のなにげない日常を淡々と綴る文章が好きで、長年に渡りずっと読んでいます。一時期はかなり蜜月状態で頻繁にやり取りしましたが、今はもっぱらのロム専です。
そんな遠く浅い関係でも、日を追うごとにブログ上で極端な発言を繰り返す姿を見るにつけ、言語化しきれない不気味さを感じています。
なにが彼女をそうさせたのか?
あれほど知的な人が、なぜ極端な陰謀論にはまってしまったのか?
コロナの恐怖を煽るマスコミへの反感がスタート
昨年春の段階では毎日のように垂れ流される新型コロナのニュースに反応して、不安に駆られた世間の人たちを「騒ぎすぎ」だと客観的に見ていたし、「過度に恐れず、そこそこ対策をして、できるだけふつうに暮せばいいんじゃない?」程度のスタンスでした。
ところが…。
トランプ元大統領への興味がすべての発端
「あれ?この人どうしちゃったのかな?」と思い始めたのが昨年の大統領選挙あたりから。「私は政治のことはよくわからないけど、トランプ大統領ってなんだか面白い人かも」と、興味を持ち始めたのです。
この頃彼女は貪るようにトランプ元大統領に関する記事を国内外問わず読み漁ったようで、「調べているうちに、にわかには信じがたい、一般の人はぜったいに知ることができない重大情報を私は知ってしまったのです」とも綴ってました。
かつてブログ上で政治的なことを記事にすることは一切なかったのですが、それを機に、ヤバ目な発言が少しずつ目立つようになりました。
この人、大丈夫?
昨年までは「コロナは実は○○で」みたいに伏せ文字を使ったり、「コロリ脳 バイ爺ちゃん トラさん」などと、ブログの読者にはわかるように、それでいて検索にはひっかからないようなセコい配慮はしていたようですが、今はもう堂々と「コロナは茶番で実はフェイク。コロナはただの風邪なんかではない。最初からないものだ。存在しないものだから、危ないワクチンなど打ってはいけない」と主張し、さらには「巷で騒がれているコロナ騒動は、ある目的を持った人物たちによる陰謀である」と綴るようになったのです。
それ以降は坂道を転げ落ちるかのように、Qアノン・Jアノン、DS、闇側・光側、中国に日本は乗っ取られる、ナチスがどうの、ワクチンを打てば遺伝子が組み替えられる、マスクによる健康被害、ビル・ゲイツによる人口削減、5G、聖書がどうしたこうしたなどと意味不明な記事を連投し始めました。
彼女いわくタイタニック号の沈没も東日本大震災も、すべて闇の勢力によって秘密裏に仕組まれたものだと言います。「表」に出ている有名人の多くは「偽物」だと言います。
極めつけはつい先日逃げたニシキヘビ騒動の件。蛇は闇側からのメッセージだと主張します。逃げてから17日後に捕まるというのは「17=Q」、つまり光側の数字だと解釈しているのです。
ここまで飛躍しすぎると、とてもじゃないけど私には理解しきれません。なにを見聞きしても裏があると考えるその思考に、得体のしれない恐怖を感じました。
こんな調子ですからマスク着用に対する拒否反応は、尋常ではありません。ある大型ショッピングセンターに行ったとき、マスクの着用を店側から求められたらパニック発作を起こしたとブログに綴っていました。
まるでカルト
頭をふとよぎったのは、ヘッドギアをつけて修行している某カルト宗教の信者たち。過去、あの団体は世間を震撼させました。
当時洗脳を解こうと理詰めで説得する人たちに対し、怒りと恐怖をにじませながら泣き叫んでいた信者たちの凄まじい形相が今でも目に浮かびます。
ひとりひとりはきっと、世の中を良くしようと願っていた純粋な人たちなのでしょう。しかし極端な意見や思想にばかり触れていると、純粋だからこそバイアスがかかり、思い込みをさらに強化するための行動に出るのです。
今彼女が一日中ネットに張りつき、必死になって情報収集しているのもそれと同じです。自分の信じたくないものに関して過剰なまでにデータを求めようとするのは、「今世の中で起きていることはフェイクである」という自身の説を強化したい表れです。
しかしその情報とやらは、「自分にとって都合のいい情報=自分が真実と信じたもの」でしかなくて、それ以外の「不都合な情報」は、「闇の勢力が流すフェイク」もしくは「情報が操作されている」と解釈します。
これつまり「信じたいものしか信じない」典型。こうなるともう、洗脳を解くのはそうかんたんではないと私は思います。
「それはおかしいだろ」と言えば、次々と自分にとって都合の良い情報だけを出してきて論破しようとしてくるので話は噛み合わず、平行線をたどるだけ。それが続くともっと頑なになって、自分に共感しない者を敵とみなし憎悪する、という悪循環。
もちろんなにを信じるかは個人の自由です。ただ問題は、その極端な持論をブログで流すこと。それによって読者(もっといえば世間)にどのようなを与えるかについてまでは考えられないようです。
世の中にはコロナを深刻に捉えている人がいる一方で、実は大したことないんじゃないかと考える人がいるのもまた事実。でもそれはあくまでも個人の捉え方の問題や属性の違いであり、正しい・正しくないの問題ではありません。
コロナワクチンに関しても「打ちたい人は打てばいい、打ちたくない人には無理強いしない」という基本を忘れて自分の思想だけが正しいと思い込み、「日本人を救わなきゃ」という使命に駆られて場をわきまえず不安を煽るような情報を投稿し続けているのです。
かつてマスコミのことを「不安を煽る情報だけを垂れ流す”マスゴミ”」と呼んで毛嫌いしてましたが、自分のしていることも同じだとはまったく気づいておらず、啓蒙活動にせっせと励んでいます。
だいじなのはバランス感覚
コロナをめぐっては政府の対応に疑問を感じるのは確かだし、臨床例の少ないできたてのワクチンを危ぶむ感覚はよく理解できるので、不安に感じる人がいるのは当然です。
しかしこんなふうに人が不安になるときほど、心の隙間につけ込むデマや陰謀論が横行するのは過去の歴史を見ても一目瞭然。社会不安の副反応(=現実逃避)みたいなものです。
彼女の場合は「ふつうの人が知ることができない自分だけが特別に知り得た情報」だと思い込んで「目覚めた私、スゲ〜、世界の裏側を知ってる私、スゲ〜」と優越感に浸っているようですが、だとしたらなぜ、陰謀論者は揃いも揃って同じ主張をするのでしょう?
その段階ですでに「誰も知ることができない特別な情報」ではなく、すでに出尽くされた「みんながとっくに知ってる情報」だという矛盾に気づかず、ましてトップシークレットであるはずの国家の機密情報が、なぜたやすくネットで拾ってこれるのでしょう?
極端な思想にはまると、そんな素朴な疑問さえ抱けなくなるのでしょうか?
いろんな情報を積極的に得ようするのはとても大切なことです。でもそんなときこそ偏った意見だけではなく、時々両方の意見をチェックしつつ、(似非ではない本物の)専門家と公的機関の情報などからバランスよく選別することが重要ではないでしょうか。
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