あっという間に週末。本当に一週間が早いと感じます。画像は今週、お風呂に入れてきれいになった2匹たち。
さてこの一週間の大きな話題といえば、過疎の集落で起きた八つ墓村のような事件。犯人は無事に逮捕され、これから調べが進めば全容が明らかになるでしょう。どこまで真実がきちんと報道されるのでしょうか?
ご近所トラブルは「臭いものには蓋をしろ」になりがち
近隣トラブルがコトの発端。一部の報道では当初犯人がイジメの被害者、近隣住人の方が嫌がらせをした加害者となっており、事件の動機は積もり積もった恨みを晴らすため、となっているようです。だとしても、あまりに短絡的。事情はどうあれ、結果的には絶対にやってはいけない殺人と放火という大罪を犯した以上、悪いのは犯人です。
この部落が8世帯という閉鎖された狭い空間であることも、犯人にとって、近視眼的にギュウギュウになってしまう一つの要因だったのでしょう。
ご近所トラブルは近隣住民はコメントしにくい部分があるので、本質の部分が語られることは少ないと思います。それを踏まえて報道がどう偏りなく伝えるのか?
日本にありがちな事なかれ主義に走って「臭い物には蓋をしろ」になってしまわなければいいと思います。
実際にあったご近所トラブル
私が住む場所は一つの道路(私道)を挟んで12世帯が暮らしています。そこは開発分譲地で、みな様々な場所から移り住んできた人ばかり。新興住宅地にありがちな付き合いの希薄さはありますが、私にはそのくらいの方が気楽で良いです。もし仮に近所とソリが合わないということがあったとしても、別の場所に親しい人を作る、仕事に出る、趣味に没頭するなど逃げ道はいくらでもあります。
けれど、それができない人もいます。「ここだけが自分の世界の全て」という隣人です。以下は実際にこの地であった実在の人物のお話です。
隣人は小さな作業場を自宅に持ち、ご主人と自営業を営んでいます。朝から晩まで狭い作業場に缶詰になって内職のような単調な手作業をし続ける日々。彼女の目に映る世界の全ては、この数軒だけの狭いエリアのみ。
作業場から見える小さな窓越しからは近所の主婦たちの暮らしぶりが見えてきます。サラリーマンに嫁ぎ、時間に余裕のある専業主婦たちは、趣味に遊びにご近所づきあいにと楽しく暮らしているように思えてならず、彼女には眩しいばかり。
専業主婦同士のグループが出来上がれば、自分だけが取り残されたような気分になり、「私は村八分にされている」と思いつめ、「暇な人たちはいいわね」とひがむようになりました。
やがて羨望は怒りに変わり、その鬱憤は全く関係のない隣に住む私にぶつけられるようになりました。
小さな窓越しに映る私の暮らしは自分にないものばかりのように思えて仕方がありません。私のすることなすこと全てが羨ましくて、挙句、私を憎むようになりました。自分には到底できないことばかりを次から次へとやってのけるからです。
見せびらかしたり自慢したりしなくても隣人が勝手に覗いて勝手にやっかんでいるだけです。
やがて我が家では度々奇妙な出来事が起きるようになりました。物がなくなったり頻繁に車に傷をつけられたりという奇妙な出来事が何度も続き、近所でも話題になりました。
あまりにも次から次へと摩訶不思議な出来事ばかり起きるようになった私は、被害者の独自のカンが働き、隣人に対して疑惑の目を向けるようになりました。それを感じ取った隣人は急に近隣の目を避けるようになり、家に籠る日が続きます。数年前から現在に至るまでその状態は続いてます。
ただ羨ましいという理由だけで自分の鬱憤を全く関係のない人物にぶつけるという短絡的な行動をするあたりに、隣人が抱える人格的な問題の根深さが伺えると思いますが、いずれにせよ、精神的に追い込まれたのはさんざんいじめられた私ではなく、イジメを行った隣人の方でした。
聞くところによれば、一時期はストレスから入院までしたようです。世間一般からすれば、それは自業自得となるわけですが、その手の輩はだいたい逆恨みをします。自分のしたことを忘れ、脳内で都合よく上書きをします。
自分の仕業だと見抜いた私のせいで隣人は自由に外出できなくなり、逆恨みするようになりました。追い詰められた隣人の精神状態はかなり深刻だったようで、道ですれ違えば物凄い形相で私を睨みつけたり、あるときなど「キチガイ!」と罵倒されたこともあります。パーソナリティ障害の人は、加害者なのに被害者面しますが、丑ちゃんも例外ではありません。魑魅魍魎とはまさにこのこと。
最初は私が羨ましいという単純な動機だけど、突き詰めれば近隣の人全体に対する羨望と怒りがあったのだと私は思います。
隣人の頭にあった数々のモヤモヤは「理不尽」というたった3文字の言葉に集約されていて「あんなに何一つ不自由なく幸せな人もいるのに、どうして私だけが苦労ばかりするの?どうして私だけが朝から晩まで働き続けないといけないの?」という思いに囚われていたに違いありません。
誰でもそういう気持ちはあるかもしれないけど、最終的には「人は人」というように、自分をなだめるすべを身につけて嫉妬とうまくつきあっていくものです。
けれどそれができずに自分のモヤモヤを他人にぶつけるしかすべがない気の毒な人が隣人です。「気の毒」とはよく言ったもので、隣人の「気」は「毒」で成り立っていて、その「毒」でしか自分を表現できないのです。やがてその毒で自分がヤラれ、さらに他人を恨み、世間を恨む。そしてまた病んでしまうの繰り返し。隣人はこの先、どんな年のとり方をしていくのでしょう?
どこにでもいるふつうの人が実は怖い
隣人は極度の見栄っ張りで言葉の端々に毒はあるけど、仕事もこなし、暮らしぶりもきちんとしていて家庭生活もきちんと営んでいます。一見すれば、本当にどこにでもいる真面目な一般市民に見えます。けれど、心の中には計り知れない闇を持っていて、それを知っているのは周りにいるごく限られた人だけです。
考えてみれば巷で起こる数々の事件は、最初から絵に描いたような極悪人などほぼいなくて、なにも特別な人が大罪を犯すわけではなく、どこにでもいるごくふつうの人が信じられない事件を起こすのです。私が住む場所で「八つ墓村」のような事件が起きることだけは勘弁してくれと、今はそれを祈るばかりです。
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