Violet@Tokyo

批判を嫉妬と決めつけるだなんて、とんでもない思い上がりですこと

約5分



ネットでは、「批判」を「悪」だとする風潮があります。

「批判する人は、だいたいが醜い嫉妬だ」と、決めつける人までいます。

でも果たして本当にそうでしょうか?

いえいえ、「批判=嫉妬」だなんて、思い上がりもいいところだと思ってます。

なぜ思い上がりかって?

自分には全く非がないことを前提とした上で、自分は嫉妬されるに値する、特別な人間だと思い込んでいる表れだからです。

さて今回は、「批判=嫉妬」だと決めつけることの愚かさ・滑稽さと、批判を嫉妬だと決めつけたい理由それぞれについて考えていきます。

批判・非難・悪口の違い〜私の解釈


まず「批判」「非難」「悪口」の違いを次項にまとめます。

批判とは

「批判」を辞書で調べてみると「良い所、悪い所をはっきり見分け、評価・判定すること。人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること」とあります。

簡単にいえば、というか私なりの解釈としては「オイオイ、それは違うだろ?こうした方がはるかに良くなるぞ」というのが批判。理路整然とした理屈がちゃんとあって、いい方向に導くために悪い部分を指摘し正すのが「批判」だと考えてます。

非難とは

それに対し「非難」とは「相手の欠点や過失を取り上げて責めること」とあります。

「相手を責める」というとすごく悪いイメージがありますが、実はそうではなく、私なりの解釈としては「お叱り」という位置づけかな?

例えば「ダメじゃないの。よそ見してるから転ぶのよ〜」みたいに、やらかしてしまった相手の言動を咎めるもの。

どちらにしても、それを指摘してくれた人の根底には愛があるということ。むしろ、何も言われなくなったらおしまいくらいに思ってます。

叱られたり批判されたりすると、どうしても最初はちょっと落ち込むかもしれません。

でも、批判・非難共に「口に苦い良薬」くらいに位置づけておけば、そう心が折れることもないのでは?と思うのです。

もちろん中には的外れなものもあるかもしれません。そういうのは右から左に聞き流せばいいだけのこと。ただそんな中にでも、後からよくよく考えてみると「なるほどな」というものもあったりします。

だから、最初から嫉妬だと決めつけて、完全に耳を塞ぐのはどうなんだかなって感じがします。

悪口なら嫉妬と考えてもいい

ただ罵詈雑言・誹謗中傷などの「悪口」は違います。感情的になって断罪するだけなので、「批判」や「非難」とは似て非なるもの。ネット上でも「批判=嫉妬」という主張をしている記事をよく見かけますが、それらの大半は「批判・非難・悪口」の違いがよくわかってない、国語の勉強からやり直せ!というものも多いと感じました。このあたりを履き違えると、次項からの考察はストップします。

それを踏まえた上で、次項では「批判を嫉妬」だと決めつける理由について考えていきます。

批判を嫉妬だと思い込む理由

やはり人格的な問題が大きいでしょうね。厳しすぎる親に育てられて否定されてきた人ほど、物事が正しい・正しくない以前に「自分は悪くない」という逃げの姿勢の表れから、以下のような傾向が強く表れます。

「なんであんなひどいことをしたの?」と責められれば、「自分がひどいことをしたんだから当然だ」とは思わず、責めた相手を敵とみなすのです。反対意見をすればブロックする輩なんて、典型的それですね。

おそらく他者からの賞賛を渇望する彼らにとって、「なりたい自分」と「強欲で卑小な実際の自分」とのギャップを直視するのが恐怖にも近い。それがいちばんの苦痛であり恥。だから無視するという感じでしょうか。

でも、その無視された感情が、次々と問題を引き起こしていくのです。焦点バラバラになって、まるで自分がまわりに悩まされて、世界でいちばん辛い思いをしている被害者、という具合に。

被害者意識に凝り固まる

自分の間違いや自分の非と向き合わずにすむいちばん手っ取り早い方法、それは、自分をかわいそうな被害者にすること。

そのためには自分を批判する人を加害者にしなければなりません。同時に加害者であるためのもっともらしい「理由」も必要になります。

そんなときにいちばん適しているのが、「自分に対する嫉妬」です。嫉妬は醜い感情の代表格とされているから、理由を「嫉妬」にさえしておけば、間違いなく世間の同情を集めるだろうという計算を働かせているのです。

しかしこの計算は「取らぬ狸の皮算用」でしかなく、一般常識を持ち合わせた人には全く通用しない計算──つまり誤算──なわけですが、身を守ることしか頭にないご本人にはそれがわからないみたいです。

それどころか、やがて自分のことを本当にかわいそうな被害者だと思い込んでしまうからタチが悪いのです。

ほら、かつてのオウム真理教が、自分で毒ガスを作っておきながら、「毒ガス攻撃を受けた」と騒いでいたでしょう?

自分がついた嘘を自ら信じ込み、引っ込みがつかなくなって自分を被害者だと思い込む思考、それと全く同じです。

最後に

人の脳は、考えたくないことにはとことん向き合わないようにすることも可能だから、それによって心の平穏が保てるようになっているのかもしれません。

しかしその平穏はほんのいっとき。どこかに無理があるからますます批判に敏感になる。すると次は「あなたに私の何がわかるの?」と、心を閉じて毒づいたり、「わかってくれる人(信者)だけわかってくれればいい」と、ますます排他的になる。

信者は信者で批判されても当然だという内容にでも、「あんなの嫉妬だから、イチイチ気にするな」と、これまた本質から目を反らし、自ら長いものに巻かれて身の安全を図ろうとする。

これぞ絵に描いたような思考停止状態ですよね。そんなことを繰り返している限り、まともな人間関係なんて永久に作れないでしょう。

だから、「批判=嫉妬」だと決めつける人を見るたびに、そんなかわいそうな人に同情こそすれ、いったい誰が嫉妬するというのでしょう?と、思うばかりです。以上。

 

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