Violet@Tokyo

「#町会やめたの私だ」に便乗するズルい面々

約6分



ここ最近、「#PTAやめたの私だ ひとりの主婦の静かなる抵抗」という記事が各方面で物議を醸しています。

この記事を読んだ感想。それは町会の役員と似ているなというもの。それを今回のテーマにします。

なおPTAの是非については子供のいない私が口出しする問題ではないため、ここでは取り上げません。たったひとり、自分の判断で「やめる」という決断を下した勇気についてだけを取り上げます。

私は彼女の勇気に心から拍手を送りたい。

なぜそう思うようになったのか、その経緯についてお話していきます。

「#町会やめたの私だ」

昨年私は婦人部の役員を終えた後、町会をやめました。

役員の仕事はやってみればそれなりに楽しいこともありました。

しかし卵巣癌の疑いがあると診断され、入院と手術が決まったので町会を抜けることにしたのです。

手術をした結果、腫瘍は良性とわかりましたが、検査の段階では悪性の可能性が高いと言われていました。

もし悪性なら子宮・卵巣摘出手術の後に4クールの抗がん剤治療。それが終わったらリンパ節を切除する二度目の手術が予定され、最低でも治療にはトータル1年以上かかると言われていました。

こんなことを聞けば大抵の人間は世捨て人になります。私も例外ではありませんでした。

婦人部の役員を終えてもその後に2年間を任期とする町会理事の役員が回ってくる予定だったため、先が全く見えない当時の状態では理事の仕事をこなすのは到底無理と判断。

夫がやればいいという問題でもありません。病人を抱えた家庭では、そのような大役を安易に引き受けられません。これが町会をやめた本当の理由です。

ウザいので周囲にはその理由を伏せました。あくまでも私の都合で町会をやめる。私たち夫婦の判断で町会をやめるという形で町会長に報告しました。

ところがそれに便乗してくる人ずるい人が出てきました。

「あなた一人でやめるのはずるい」と言われ、腰を抜かしそうになりました

私が住んでいるところは専業主婦が多く、ドロドロとした同調圧力が蔓延するエリアです。

耳ざとい近所のボスママとその愉快な仲間たちは、いち早く私が町会を抜けるという情報を聞きつけ、嬉々として我が家を訪ねてきました。「イヤミの一つでも言われるかな?」と一瞬身構えました。

というのも、数年前に自分の判断で町会を抜けた主婦が袋叩きにあったからです。その当時はまだ理事の話はなかった時期だったため「住んでいる以上、町会に協力するのは住人としての義務!」「地震でも来たらどうするの?」などなど、ドヤ顔で正論をまくしたてたものです。

「私たちも抜けます」と、私に便乗してきた

ところがどっこい、今回は違いました。用件は、「あなたが抜けるなら私たちも抜けます」というもの。

内心ほっとしたのもつかの間。細かく聞いていくうちにモヤモヤとしてきました。

「1軒だけで抜けるのはズルい!この際全員で町会を抜けましょう。そのために署名活動をします!」

なんで全員なんだろう?そもそも町会は任意参加。入るもやめるも個人の自由なはず。自分の意思と判断に任せればそれで済む話。

いちいちみんなでつるむ必要はないし、まして各家を回るだなんて、この人たちはいったい何を考えているんだろう…?

そこで「個人の判断に任せてはいかかでしょう?」と伝えました。

言いたいことは多々あれど、私は以下のことを伝えました。

  • 商売をしている家庭の場合、町会に入っていることで恩恵を受けることもあるから各家庭ごとの判断にするのが妥当
  • 署名そのものが同調圧力になる可能性もある

すると常日頃他人の顔色ばかり伺う、ボスママの取り巻きがこう言いました。

「みんなに声をかけなければ、仲間はずれにしたことになる」

これには大笑い。だってこの人たち、最初から仲間という関係ではないのですから。

それにこの取り巻き子(仮名)は、商売をしている家の奥さん。むしろ残った方が何かと有利な人。だというのにボスママには逆らえずにいるこの愚鈍さ。これぞ清々しいまでのイエスマンっぷり。

「ああーーー。もうコイツらと話すだけ時間の無駄!」ということで、その日の会話はそこで強制終了。

黙ったほうがラク

人と人は話せば分かり合えるなんて幻想です。

この人たちは最初から「この目的で」と決めているわけですから、なにをどう言ったところでどんな意見も受け付けません。聞く耳を持たないとはこのことです。世の中にはわかりあえない人は一定数いるものと、最初から期待なんてしない方が利口です。

PTAの件で「黙ったほうがラク」という文言がありましたが、私も違う意味で、黙ったほうがラクでした。

私のモヤモヤの正体

とはいえその後、しばらくはモヤモヤが残りました。

渡りに舟とばかり私に便乗してきたことはもちろん、もっともらしい理由をつけて一軒一軒同調圧力をかけていく狡猾さがもうミエミエでうんざり。

なんでいい年をした大人が「私やめます」と言えないんだろう?

なんで次々と「私」になるんだろう?

なんで親しくもないのに、こんな時だけ「みんな一緒に」という働きかけをするんだろう?

次の項ではそれらの疑問について私なりに考えた理由をまとめてみます。

自分のいい人像を崩したくない

見栄と体裁がなにより大切な彼女たち。だからこそ、「役がイヤだから」という本当の理由を公表したくない。

自分たちがかつて、それを理由に一人で町会を抜けた人を叩いた経験があるから人にもされると思ったのでしょう。自分がかけた圧力は、自分にそのまま返ってくるという作用と反作用の理屈そのもの。

だからこそ「みんなで話し合って」という理由をつければ表向きは格好がつくし、自分は「いい人」でいられると考えたのです。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というのと一緒です。

仮にもし他人から何か言われたら「最初に赤信号を渡ろうと言い出したのはvioletさん」という言い訳も成り立ちます。だから私に便乗してきたのです。

このようにご本人たちは緻密な計算のもとに行動したつもりなのでしょう。しかし私には狡猾さと必死さしか見えてきませんでした。

最後に

こんなことがあったから、たったひとりでPTAをやめた主婦の勇気を評価したのです。愚痴っているだけでは事態は何も変わらない。行動を起こすことがたいせつですが、その起こし方にずるさがあれば反感を買うだけ。

この抵抗がこれからのPTAを変えるきっかけになるのかどうか。この行為が果たして正しいのかどうかはさておき、自分の正直な気持ちに従うために他人をダシにしなかった勇気と行動に対して、ささやかながら座布団一枚を差し上げたいと存じます。

 

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