Violet@Tokyo

友達は数ではなく質|不要な人間関係の見直しと最適化で、本物の人間関係を作ろう!

約5分



「友達なんかいならい。これからはどんどん減らして切っていく」

これはスマスマの最終回で、ゲストとして呼ばれたタモリさんの言葉。

思わず「その通り!」と、納得しました。

そう言った直後、ちょっと照れつつ、「あの黄色いのは(草なぎ君)友達」と言い、中居くんから「(友達がいらないなら)草なぎもいらないのか?」と聞かれれば「まぁいたほうがいい」と照れながら言うあたり、タモリさんの人柄が垣間見えました。

友達は数ではなく質!

かつて友達は多ければいいとされてきました。

それを未だに信じてドヤ顔をしながら「友達たくさんいる自慢」をする人もいますが、コレクションじゃあるまいし、数が多ければいいってもんじゃない。やっぱり質ですよ、質っ!

余談ですが、数の自慢をする人ほど本物の友達がいないと感じるのは私だけでしょうか?

私もこれからは、人を選んで付き合っていきたいです。そのためにはふるいにかけるがごとく、不要な人間関係の見直しや最適化が必要だと日々実感しているところです。

年賀状だけの友達

私の場合、大人になってからできた友達の大半は不要かも…。毎年の年賀状を読むと、特にそう感じます。

旧年中一度も会わなかった人が「旧年中は大変お世話になりました」みたいに書いてきたのを読むと、「おいおい、何一つお世話してないし、お世話されてもいないぞ」と思うし、これが何年も続くと、このやり取り自体がとても虚しいものに感じます。

「今年こそお会いしたいですね」というのもそう。まず実現した試しがありません。そう言いながらかれこれ20年以上経過しています。要はお互いに会う気はないってことです。これらは年賀状というシステム共々見直していきたいと思ってます。

そしてもっといらないと思う、見直したい候補No.1があります。それを次項で詳しくご説明します。

いらない友達No.1

私は10代、いや、もっと小さい頃からその人が自分で意識してない無意識下の感情を感じ取ってしまう子でした。

数人が和気藹々としゃべっている中にいると、その人たちの言葉と無意識下の感情がまったく違って、それがあまりに顕わで、「この人たち…怖くないのかな?」と、私が怖くなっていたことがたまーにありました。

気づきながら上辺だけでしゃべっているにときはまだいいのですが、お互い意識では気づかないでしゃべっているときが怖いと、そんな風に感じたものです。

その当時はまだ、ごくたまーに感じる程度でした。

ところが大人になると、そんな場面に多々出くわすようになったのです。大人になってからの友達づきあいによくあるパターンを例にします。

好意を持った相手に対して、最初のうちは適度な距離を保ちながら少しずつ親しくなっていきます。

そして時間の経過とともにその距離がどんどん縮まり、友達づきあいがスタート。ここまではいいとして…。

すぐにメッキは禿げてくる

それでめでたしめでたしではありません。今度は少しずつ、別の変化が表れてきます。変化というよりメッキが禿げてその人本来の姿が出て来るという感じかな?

こんな変化に注意!

  • 表面上は仲良くしているのに、時々ぞっとするような冷たい敵意を向けてくる
  • 仲良くしている人のことを、影に回って悪く言う
  • 仲良くしているはずなのに、バカにしたり、無視したり、イヤミっぽく批判めいたことを言ったり…

こんな風に、本人も自覚しない胸の奥底に秘めた悪意や敵意を大人のフリで、あるいは友達という名の影に隠してぶつけてくる人はけっこう多いです。

フツーに「イヤならつきあわなければいいのに」と思いますよね?

ところが当人たちは何事もなかったかのように、表面的にはにこやかに、ごく平和に、「友達」としてつきあっているのです。

よくよく考えれば実に摩訶不思議な関係ですが、大人になってからできた友達関係にはよくあることです。ママ友やご近所付き合いなんてその最たるもの。

これこそが、私が全力でスルーしたいと思う、いらない候補No.1です。

実際私も今までは、その手のタイプであると内心薄々感じていながら、どこかで自分の気持ちを押し殺していた部分がありました。しかし「そんな我慢はするだけ損」と、タモリさんの発言を聞いて確信したのです。

これからは私も、不要な人間関係はチャッチャと切っていきます。

大切にしていきたい友達

友達.不要な人間関係.本物の人間関係

一方今後とも引き続き大切にしていきたい友達は、高校時代からの友達です。

その中には小学校から仲良くしてきた幼なじみもいるので、本当に長い付き合いです。

いつから仲良くなったのか、そのきっかけがなんだったのかも思い出せないくらい、気がついたら私の人生のいたるところに彼らがいて、いることが当たり前という存在。

だから距離感とか存在感なんて特に意識したこともないし、どちらが上でも下でもなく、どちらか一方だけが気を使うこともなく、損得勘定もない、そんなニュートラルな状態で付き合えるから一緒にいて心地いいのです。

私を私のまま受け入れてくれる。受け入れるというか「そのままだからviolet」くらい自然。こんな関係こそ生涯を通じて大切にしていきたいです。

最後に

心から大切と思える存在があるから、不要な存在も見えてくる。

逆もまた然り。少なからず不要な存在から教えられた部分はあったのかもしれません。

でもね。この年になると、もうそういうのは超面倒くさいんですよ。それが本音。

今まではともかく、これからは心地よいと思える人間関係の中で穏やかーに暮らしていきたいです。以上。

 

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はじめまして。このブログを執筆しているViolet(ヴィオレ)です。
このブログは私が日々感じたこと、考えたことに独自の視点を交えて書き留めている忘備録です。読者の方に少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
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