年明け早々、学生時代の友人たちと集まりました。これは卒業以来、毎年の恒例行事。それ以外にも年に数回、ことあるごとに集まっているわけですが、もし私に一つだけ誇れるものがあるなら、彼らこそが以下の条件を兼ね備えた友だちであるということ。
嫉妬しない人、気を使わなくてもよい人、空元気で頑張ってる時なんかに「無理するなよ」と声かけてくれる人、常に何気なく気にしてくれる人、約束を忘れないでいてくれる人、時々「元気だよ」と連絡くれる人がいいなぁ。調子いい時に近寄ってくる人より、もうダメだと思う時に寄り添ってくれる友だち。
— 辻仁成 (@TsujiHitonari) 2018年1月9日
「長いこと、私の友だちでいてくれてありがとう」
この文面を読んで、改めてそう感じました。
さて今日のテーマは、上記の文面とは逆のパターン、「調子いい時だけ近寄ってきて、もうダメだと思う時に離れていく人」のこと。母から聞いた話によれば、友だちに限らず血の繋がった親戚ですらピンチに陥ったような時に平然と手のひらを返す人はいるらしいです。以下は両親の話。
信用できる人は困った時に離れていかない人
どこの一族にも必ず一人はいるであろうお騒がせな弟の保証人になって、両親が莫大な借金を背負い込んだ時のこと。
毎日借金取りに追われるような苦しい時期、他の親戚連中は手を差し伸べるどころか潮が引くようにぱぁ~と離れていったそうです。その中にはうちの前をどうしても通らなければならないような時は、わざわざ迂回するような人までいたそうです。
信用できる人は、困った時に救いの手を差し伸べてくれる人
その時本当に親身になってくれたのは、全くのアカの他人。「遠くの親戚より近くの他人」というけど、まさにその言葉どおり。「このお金を役立ててほしい。いつかあなたたちが返せる時が来たら、返してくれればいい」と、ポーンとお金を置いていったとか。
受け取ったお金で急場をしのいだことを機に、それ以降もがむしゃらに働いて両親の事業は見事に成功。時代も追い風となったようです。もちろん弟の作った借金も完済し、後は右肩上がり。
信用でない人は、状況に応じて態度を変える人
するとかつて汚物でも見るようにしていた親戚たちは、ケロッとしてまた舞い戻ってきたそうです。親戚ってなんでしょうかね?
もちろんいくらゴマをすって、尻尾を振りながら擦り寄ってきたとしても、その後両親が相手にしなかったのは言うまでもないこと。
冷ややかな視線を彼らに向けながら「いいか、あれが厚顔無恥というものだ」と、ことあるごとに信用ならない人物とはどういうものかを、両親は実例を示し、具体的に私たちに教えてくれました。
多分それ以上に両親はもっともっと様々な出来事に遭い、もがいたりあがいたり諦めたりホッとしたり…、の経験をしてきただろうことは容易に想像がつきます。だからこそ、それらの言葉にずっしりとした深みと真実味があるように感じました。
ただ親戚がいりゃいいってもんじゃなく、イヤでもその感情や状況に向き合ってきたからかも。
イヤでも感じてしまうものを、イヤというほど感じてきたからかも。
必要以上に人に期待しない・おだてに乗らない・思い上がらない
そのおかげでしょうか。考えてみると私はどんなに調子がいい時でも、そういったハイエナたちに近寄られた経験もなければ、見え透いたお世辞を言われた経験もないような…。
あったとしても、最初からそういう危険な匂いのする人物を見分ける術と、寄せ付けないようにして生きる術を身につけてきたように思います。お世辞と賞賛の違いくらいはわかっているので、見え透いたお世辞は即座にゴミ箱に移動、なんていうのは基本中の基本。
最初から自分の中で「どうでもいい人物」という位置づけにしておけば、何かあったとしても「裏切られた」と落胆することはありません。そうやって「必要以上に人に期待しない・おだてに乗らない・思い上がらない」ことを、自然とやってきたのかもしれません。
だから人の卑しい部分を見ても、「ああ、この人はそういう人なんだ」で終わり。特に怒りも感じません。「こういう生き方しかできない、かわいそうな人なんだ」という哀れみくらいは感じますけど、所詮私とは別の世界の住人。そう割り切れば、何かあったとしても心が乱されることは少ないです。
困った時は信頼できる人を見分けるチャンス
これを逆に言えば、困ったときも変わりなく今までどおりに接してくれるような人は心から信頼に値するということ。そんな人がもし困ったら、かつて両親が受けたような恩をその人にしてあげるのが私の役割りで、両親が私に伝えたかったのはそれなんだと思っています。以上。
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