八王子まつりは毎年8月第一週の金・土・日の3日間をかけて開催されています。
連日の猛暑がほんの少しおさまった最終日に、チビたちを連れて八王子まつりに行ってきました。
昔は花火大会も、この3日間の中で行われましたが、数年前から一週間前に花火大会、翌週に八王子まつりという日程に変わりました。「見物客が分散してしまうから」という理由らしいですが、昔からの八王子まつりを知っている私には、それがイマイチ物足りなく感じます。
当時はもっと盛大でした。ミス八王子もパレードに参加し、お祭りに華を添えていました。私の父などはミス八王子コンテストを楽しみにしていて、「今年は○○の娘がミス八王子になった」と、鼻の下を伸ばしていたものです。私も幼い頃は母に浴衣を着せてもらい、町会の人達とともに山車を引いて町内を練り歩いた記憶があります。
また中学の時は、ブラスバンド部に所属する同級生がパレードに参加していたことも懐かしく思い出します。 八王子まつりは昭和43年からスタートしたので、物心がついた時には夏の一大イベントという印象があります。母の話しによれば、「昔は八幡様(八幡八雲神社のことを近隣住民たちはこう呼ぶ)と多賀神社のお祭りを別々にやっていたけど、一緒にやることになったのよ」ということで、調べてみると[PDF]八王子まつりと山車 – 八王子市図書館/「八王子まつりの歴史」には以下のような記述があります。
八王子まつりの歴史
昭和36年8月26日、「3 万人の夕涼」として行われた市民祭にはじまります。
このころ、 八王子は、人口がどんどん増えていたときでした。『八王子に生まれ育った人と新しく住民になっ た人々の結びつきを強めるとともに、自分の住む土地のことをもっと好きになってもらおう』とい う願いのもと、開催されました。
富士森市民競 技場 での花火や、野外演奏 会が中心でした。
昭和39年(第4回)には、主な会場を甲州街道に移してパレードを盛大に行うようになります。
昭和41年(第6回)市制施行50周年記念市民祭には、初めて12台の山車 がパレードに参加、昭和43年(第8回) には、市外からも大勢の人が集まるよう になり、市民だけの祭りでなくなったと いうことから、「八王子まつり」に名前が 変わり、各町会の山車が正式に参加する ようになりました。
昭和36年から昭和43年当時の八王子の商店街…。八王子が一番元気だった頃だと記憶しています。八王子で最初の百貨店がまるき(現在のエルシー)ということで、八日町周辺が商業の中心地でした。私の実家もそのエリアなので、八日町から横山町あたりの商店街はみな同級生ばかりです。
けれど今は、かつての活気はありません。店じまいする店舗が続出し、その跡地はマンションや駐車場に姿を変えています。平日の夜など、甲州街道沿いの道は駅近くでありながら人通りはまばらです。そんな八王子も、お祭りの時だけは多くの人出で賑わいます。中国人らしき、外国人観光客の姿も目立ちました。
やはり圧巻はぶっつけ。それと中町の芸者さんたちの美しいこと。youtubeに八王子まつり 「終日」 2015がアップされていました。3日間の全容がダイジェストで紹介されています。興味のある方はご覧下さい。
気の早いことに、このお祭りが終わると「今年も終わった」と感じる私。なぜだろう?9月に入ると試合が増えて、それとは別にイベントも数多くあり、その合間に試合に向けた練習をいくつもこなしていくからでしょうか?
とにかく、毎年夏まではすごく長く感じるけど、夏が過ぎるとあっという間に一年が終わるような気がします。私にとって八王子まつりは、ちょうどその境目にあたるイベントなのです。 これを人に言うと、「気が早い」と笑われますが「でもわかるような気がする」とも言われます。
無事、八王子まつりが終わり、今年もラストスパートにさしかかります。
最新情報をお届けします
Twitter でvioletをフォローしよう!
Follow @violet2005