「ドリフの宝、日本の宝を奪ったコロナが憎いです。」
これは今月29日、新型コロナウイルス肺炎で亡くなられた志村けんさんに向けた加藤茶さんのコメントです。
そう、志村けんさんはまさに日本の宝。訃報の第一報を聞いたときから心にポッカリと大きな穴が開いた状態で、この喪失感をこれからどうやって埋めたらいいのかと、答えの出ない自問自答を繰り返すばかりです。
肉親を奪われたみたい
これまでは新型コロナウイルスは怖いものと思っていたけど、今は心の底から憎いと思います。
今までも好きな芸能人が亡くなった時、そのときはふつうに「ああ残念だな、寂しいな」という感情は抱くけど、頭の片隅ではどこか「自分とは全く違う世界の人だから」という意識があり、やがて時間が経過すれば自然と風化していきました。
でも今回ばかりはもっと強い感情──「よりにもよってなんで志村けんさんなのよ」という、ダイスキな肉親が亡くなったような、大切な親友を奪われたような言葉にできない感覚、もっと言えば怒りのような感情におそわれています。
看取れない・遺族は最後のお別れもできない
ドリフ世代だった私は彼の大ファンで、子供の頃に初めて呼び捨てをすることができた唯一の大人が志村けんさんでした。荒井注さんと交代した初期の頃は親や教師に扮した長さんに怒鳴られるコントが多かったため、子供心に自分とすごく近い人という印象を受けたのです。初期の頃はいちばん下っ端という位置づけでしたが、またたく間にドリフを背負って立つ人気者になり、今に至るのですが、優しい人柄はどんなに人気者になっても変わることなく、芸人としてだけでなく人間としての志村けんさんも好きでした。
私同様日本中探しても彼のことを嫌いという人は誰もいないだろうというくらい、年代問わず多くの人に愛され続けた志村けんさん。
あれほどお葬式コントで日本中を笑わせた人なのに、感染症だからという理由でご遺族は顔を見ることもできず火葬場に行くことも許されず、最後のお別れはお骨になってからというのが悲しすぎます。そんな最後を誰が想像してたでしょうか。
傑作コントを見て追悼
今朝のニュースで故郷である東村山の駅前に献花台が設けられたことを知り、「志村けんさんの死は現実なんだ」と、今頃になって実感しました。でもやはりどこがでまだ認めたくない私はYou Tubeで過去のコントを片っ端から見て大笑いしました。そして泣きました。
当時もお腹を抱えて涙を流しながら大爆笑したのに、今でも色褪せない傑作コントが山のようにあって、当時とは違う涙を流して泣いたり笑ったりしながら過去のコントを見て回りました。それが私流の追悼です。
どのコントもみんな覚えているしみんな好きだけど、特に好きなのは由紀さおりさんの年齢詐称コント、沢田研二さんとのコント、柄本明さんとの芸者コントや定食屋コント、研ナオコさんとの夫婦コント。ひとみばあさんも好きだったなぁ。
このように”特に”と言いながら一つに絞れない、何度も見ているはずなのに見始めると時間が経つのをつい忘れてしまう。ほんとうに「日本の宝」とはよく言ったものです。かけがえのない人を亡くしてしまったこのやりきれない気持ちを、しばらくは引きずりそうです。
フレディ・マーキュリーが亡くなったときも大泣きした私ですが、後にエイズの発症を遅らせる薬ができてエイズが不治の病ではなくなったとき、この薬がもう少し早くできてたらフレディは死ななくてすんだのにと、とても悔しく感じました。今回も全く同じです。何年かして、新型コロナウイルスがそれほど怖い病気ではなくなった時に、きっと同じことを思うでしょう。
QUEENの「一人、また一人といいやつが早死する」というNo One But You (Only The Good Die Young)の歌詞がふと頭をよぎりました。洋楽がお好きだった志村けんさんにこの曲を捧げます。
最後に
志村けんさん、謹んでご冥福をお祈りします。長いこと私たちを笑わせてくれてほんとうにありがとうございました。どうか安らかに。天国でいかりや長介さんと美味い酒を酌み交わしてください。
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