正論を辞書で調べると、「道理にかなった正しい意見や議論」となっていますが、正しいはずなのに実際は嫌われます。
正論に続く言葉の多くは「正論を吐く」、あるいは「それは確かに正論だけどね…」と、その多くは否定的に使われます。
正しいはずなのに、なぜ正論は嫌われるのでしょうか?
そして正論を吐かれて悔しがる心理とはどのようなものでしょうか?
嫌われる正論とは?
正義を振りがさし、理屈だけで人の間違えを弾圧しようとすれば、それは間違いなく嫌われるでしょう。
理屈には、人の気持ちを配慮する隙間なんてありませんから。
言う側は自分の意見が正しいと信じて、相手の逃げ場を塞ぐまで言及し、優越感に浸ります。
追い詰められれば開き直るか、言い訳に走るかのいずれでしょう。だって正しすぎて反論なんてできないのですから。
つまり正論を嫌う気持ちの中には、どこかに負け惜しみの気持ちもあるのです。
だからこんな時はたいてい、相手の言い分には触れず、「上から目線でモノを言う」と、相手の態度にケチをつけます。一種のすり替えですね。
言い負かされた側は言われっぱなしでは悔しいから、言い分とは無関係の部分で相手の弱みを握ろうとするのです。
そうしなければ言われた悔しさが収まらないからです。
つまり、理性より感情が勝った状態になり、ムカついたりキレたりするわけです。
上手に正論を通すなら?
それでも正論が必要な場合もあります。
そんな時は相手の言い分をしっかりと聞いた上で「そうね」と共感する姿勢を示し、「でもこんな時、私ならこうするな」という具合に、やんわりと伝えればさほど角が立たないと思います。
それに、何が正しいかの基準は人それぞれですから、自分の正論が100%ではないということを常に頭に入れておけば、おのずと言い方も変わってきます。
すると相手はケチのつけようもなくなります。
でもこれができるのは相対してのことであって、ネットではそうすんなりいかないこともあると思います。ブログのコメントやSNSなどでは度々言葉の行き違いが生じます。
つい最近もあるブログでそんな場面を目にしました。
でも注意深く見てみると、ある人から意見をされ、「上から目線で正論ぶっこいて!」と悔しがったその本人が、今度は別の人に対して正論を盾に弾圧していましたよ。
人を弾圧するための正論は正論とは言えず、単なる武器でしかないですよね。
顔が見えないネットの世界だからこうなるのでしょうか。
私個人としてはネットに人のつながりなんて求めていないので、ちょっとこの手の輩は理解に苦しみますが。
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