今に始まったことではありませんが、ネットが荒れる原因の一つに、何かの記事に対して「そうだそうだ」と同調する人の存在があります。
二つ目は都合の良い部分だけを集めた、いわゆるまとめ記事を作る人の存在もあります。
三つめは面白がって拡散する人の存在があり、それらが相まってネット上では日々不毛な論争が繰り返されています。
ネットの影響力はかなりのもの
ネットの影響力は計り知れません。
一つの意見に対して同調する人の声だけを集めた記事を作ってまえば、まるでそれが世論であるかのような錯覚を人々に与えてしまいます。忙しい人は元記事まで読みませんからね。
現状、特に荒れているわけではありませんが、切り取られ方がちょっと偏っているなと感じた記事に遭遇しました。
ブログで記事を書くときの強いみかたといえば、迷える相談者の悩みを読者同士で解決し合う「教えて!goo」や「発言小町」などを代表とするお助け掲示板。
そこに寄せられた回答を元にリライトしたり独自の考えをつけ加えたりすれば、あっという間に記事が書けるので私もよくチェックします。
以下にご紹介する記事もそのような手法で作られたものです。
「困るのは「最近の年配」なのか?3つの『ない』年配者に苦しむ若者」
「教えて!goo」に「年配の方のマナーについて」という記事を元にして書かれたものです。
内容をざっくりと解説
一応クエッションはつけているけど、内容は「最近の若者」どころか、若者の方がむしろ「最近の年配者」のマナーの悪さに苦しめられているというもの。
高齢者がマナーが悪い理由として、3つの『ない』を挙げています。
- 加齢によって判断力や身体機能が足りないこと
- 経済的なゆとりがないこと
- 年を重ねるにつれ、叱ってくれる人がいない
最後は「必要なのは“豊かさ”よりも“寛容さ”ではないかと思ってしまう」という記述できれいにまとめられていました。
一つの側面を捉えただけで元記事の意味合いがガラリと変化してしまう実例
最初は「なるほどな」と思いつつ、元記事である「教えて!goo」に「年配の方のマナーについて」を寄せられた回答をじっくりと読んでみました。
すると元記事には様々な年代の方から数多くの意見が寄せられています。
相談者と同じ意見を持つ人もいれば、「マナーが悪いのは何も年配者に限ったことではなく、若者も同様で、年齢ではなく育ちの問題だ」という意見もありました。
しかしウォッチで取り上げたのはつけたタイトルに沿うような部分のみで、タイトルに沿わない都合の悪い部分は完全にスルーしています。
「それはフェアではないだろう」ということで、以下に具体的な例を挙げてみます。
実例
「日本経済のバブル崩壊後、失われた20年間で、所得水準が下がり、豊かさが失われて、『衣食足りて礼節を知る』と言う事が、薄れて来ているのではないでしょうか」(plokij75さん)
情報源: 困るのは「最近の年配」なのか?3つの『ない』年配者に苦しむ若者 – ウォッチ | 教えて!goo
その原因は、年配者にも、若者にも、両者にゆとりが無くなっているからなのではないでしょうか。年配者が、年と共に肉体的にも精神的にも衰えて来ると、他人に迷惑を掛けたくないと思えば、自分の事を必死に行うことになって、周りの他人の事まで気を配る余裕は無くなって来ます。一方、若者の方も、経済的、精神的な余裕が無ければ、年配者だから仕方がない!と許す余裕が無くなて、目に付き易くなっているという事ではないですか。つまり、両者の余裕の無さが、年配者のマナーを際立てているのではないでしょうか。
情報源: 年配の方のマナーについて。 – シニアライフ [締切済 – 2016/04/02] | 教えて!goo
ウォッチの方では「高齢者は金銭的に余裕がない」ことを理由にしています。
けれど元記事の方には、該当部分の前にもっと本質的なことが書かれていて、「年配者にも、若者にも、両者にゆとりがない」とあります。
比べるまでもなく、両者の意味合いがまるで違ってきますよね?
他にもNo.7のazmsyrさんからこのような意見が出ています。
どの世代でも同じようにマナーやエチケットいついてなっていない人はいます
年配者にも多いですが、若者にも多いですよ。
同じくらいですね。
あなたは若いから年配者を見てしまいます。
年配者から見れば若者が目に付きます。
つまり自分の世代のことは棚に上げておいて他の世代について目に余るものがると批判するのです。
年配になると脳の機能が・・・・なんていう人もいるようですが電車に乗れるくらいの年配者なら脳の機能もへったくれもありません
特定の世代を批判するのではなく、一人ひとりが自分はそうならないように意識してそういう人たちのお手本となるようにしようではありませんか?!
この方などとても公平な意見だなと感心するのですが、その部分もスルー。
元記事にはマナーの悪い人の粗が気になって仕方がないという相談者に対して、No.2のボトルボイス_熊山達也さんは的確な意見を寄せています。
他人の言動に依存しないでください。他人の言い方や振る舞い方は、その人の課題であって、あなたの課題ではありません。他人の課題で、あなたが悩んだり責任を感じる必要はまったくありません。
敬語も遣わず高圧的な態度をとってくる人が特に気になって仕方がない投稿者にとって、嫌な人の存在を気にしないように導くことが根本的な悩みの解決なんですよ。
つまり、他人は変えられない。変えられるとしたら自分の意識を変えるしかないということ。
他人のことでイライラするだけ損だということを回答者は言いたいのでしょう。
でも、やはりスルー。
取り上げ方次第で偏った内容になる
ウォッチのタイトルと冒頭部分にある「>投稿者は殊勝にも「自分自身に原因があるのかと行動を見なおしたりも」したそうだが…」というくだりだけで、記事の内容が投稿者寄りになるのは容易に予想できました。
人間の脳にある目標を設定すると、自動的にその後の流れは決まってしまいます。
記事の趣旨は「高齢者はマナーが悪い人が多い」ことに対する分析だから、必要なのは「高齢者のマナーが悪い理由」であって、それに適合しない意見は自動的に不必要になっていくんです。
でも、一番怖いのはここ。
「高齢者云々が」という問いかけに対し、同調する意見ばかりを取り上げてしまうと、それが絶対的多数意見として正しいことになってしまいます。
そうなると高齢者だけではなく、あらゆる世代にマナーが悪い人がいるという事実だってうやむやになっていきます。
次第に「老害」を排除しようとする風潮が正当化され、それに必要なのは「高齢者が排除される理由」だけになります。
事実「若者のマナーの悪さは、見本となるべき高齢者がいないから」といったニュアンスの意見も出ていましたが、こじつけもいいところです。
それが嫌だと思えば反面教師にすればいいだけのこと。
「最近の若者は」、「最近の高齢者は」とお互いを攻め合っているだけでは世代間の溝はどんどん広がっていきます。
わからないまでも、理解し合おうと歩みよる方が人生はるかに楽しいですよ、どうしてもそれがムリなら関わらなければいい、そういうイキモノだと思えばいい、というのは個人的な意見です。楽しい云々は抜きにしても、ネット上に流す記事を書くなら別の観点からの意見も公平に取り上げるべきだと、この記事を読んで感じたしだいです。
もちろんこれは最近の中年である自分への戒めであり、筆者を非難するものではありません。反面教師として、今後、記事を書く上で自分はそうありたいというだけです。
最新情報をお届けします
Twitter でvioletをフォローしよう!
Follow @violet2005