愛する人を亡くした友人にかける言葉が見つからない。そんな経験ありませんか?
実は私が今、まさにそんな状態です。
劇症型溶血性レンサ球菌によって筋肉が壊死してしまう恐ろしい病気・壊死性軟部組織感染症でご近所の方が亡くなられてから、早いもので2週間以上が経過しました。近隣は何事もなかったかのように、とても静か。時間だけが刻々と経過している、そんな感じです。
静寂と悲しみ
ただひとつ気になるのは、最愛の妻を亡くしたご主人のこと。葬儀が終わってからの数日間は来客もあって慌ただしく過ごしていたようですが、今は訪ねてくる人もほとんどいなくなりました。
そうなると張り詰めていた気持ちが途切れたのでしょうか。仕事にも行かず、ずっと家に閉じこもったまま一歩も出てこなくなりました。広い家でたったひとり。静寂の中に身を置いた彼は、今頃どんな気持ちでいるのでしょう。あまりに突然すぎて、嵐のように過ぎ去った日々に心が追いついてこないのかもしれません。
さすがに近所の人も気になりだして、気心の知れた同士では「ご主人、心配だよね。元気づける言葉ってないからしね?」などとささやきあっています。
愛する人を亡くした悲しみは生涯続くと実感した日
こういった話題になると、元気づけたいあまり、「いつまでも悲しみを引きずってはいけない、早く立ち直らなければいけない・乗り越えないといけない」みたいなことを言う人は必ずいます。そうしないと亡くなった方が浮かばれない、みたいな、お決まりの言葉。
それは確かに正しいかもしれないけど、でもやっぱり無理だよなぁと感じたのは、今年、海老蔵さんの奥さん・麻央さんが壮絶な闘病の末に亡くなりましたよね。実はあのとき私、フラッシュバックを起こしたのです。
大切な親友を亡くした時の、あのときの感覚をリアルに思い出してしまって、苦しいくらいに胸が張り裂けそうになりました。親友と麻央さん、最期の状況があまりに似すぎていただけに、つい感情移入してしまったのです
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それは今回も全く同じ。私は最初の夫を突然の病気で失ったから、その当時のことをリアルに思い出してました。
タイミングがだいじ
そのとき思いました。愛する人を亡くした悲しみというのは、いくら時間が経過しても癒えないものだと。私はきっと、一生悲しみを抱えて生きていくんだろうなぁと思っています。
そしてこうも思いました。悲しいなら悲しいままでいいじゃないかと。心の傷なんて、そう簡単にはなくなるものではないのだから。
今後何度も何度も大小のフラッシュバックを繰り返していくうちに、やがては「悲しい気持ち」との付き合い方に慣れていくかもしれません。しかしそれは、決して立ち直った状態ではなくて、悲しい気持ちの扱い方というか、コントロールの仕方を心得たにすぎません。だからまた似たようなシチュエーションになれば、きっとぶり返すこともあるでしょう。
逆効果になる言葉
私だってそうだから、まだそこまで行ってないどころか、心から血を流している瀕死状態の彼の場合、現時点で「元気を出して」と、相手に言うのはとても酷なこと。それはまさに、病気の人に「頑張って」と言うのと同じ。
そしてもう一つ。励ましたいと思って「明けない夜はない」みたいなことを言う人もいますが、それも逆効果です。だって本当にその意味を理解するのは、夜が明けたと本人が実感してからだから。
立ち位置の違いを理解する
今、真っ暗闇の中にいる人にとっては全く先が見えない状態で、光を求めて模索しているところ。今の悲しみは永遠に続くものと感じているでしょう。だから自分と相手の見える景色の違いと立ち位置の違いを理解するのが先です。そうしないと、相手には伝わりません。やっぱり何を言うにしても、タイミングがだいじです。
下手な言葉をかけるよりは、死後、間もないうちは特に、言葉をかけるより気にかける。いきなり男やもめになった人には「不便なことがあったら遠慮なく言ってね」程度でいい。深入りせず、寄り添う程度でいい。やがていつの日か、本人が長い長いトンネルを抜け出したら、「お疲れ様」だけでいいと、そんな風に思います。
あなたなら、どんな言葉をかけますか?
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