久々の考察シリーズ。世の中には無自覚に、息を吐くように嘘をつく人がいるんだなぁと。そんな大嘘をついて恥ずかしくないのかなぁと。それ自体が不思議でならないのですが、もっと不思議なのは、そのすぐにわかるバレバレの嘘を嘘だと見抜けない人たち。
以下、それぞれの不思議について考えていきます。
なぜ無自覚に嘘をつくのか
まずは無自覚に嘘をつく人について。
子供の頃、親に「嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれるよ」なんて脅されたものです。当時はその意味もわからず、「閻魔様って誰?」くらいに感じたものです。
やがて成長するにつれ、なぜ嘘が良くないのかがイヤというほどわかってきました。それは、嘘は物事を悪化させるだけで、嘘をついた本人をいちばん堕とすからです。
でもそんなあたりまえのことがわからない人っているんですね。
自分のバカさかげんと嘘と醜さを、とってつけたような薄っぺらい言葉で美しく見せようとする虚栄に本気で反吐が出そうだと、そう周囲に思われても平気でミエミエの嘘をついてしまう。それはなぜでしょう。
人格的な問題
医療の専門家でもない私ですが、やはり、人格的な問題が大きいのだと想像できます。
その手の人種を見かけると、以前読んだ本のくだりを思い出します。
エミール・クレペリンによるとサイコパスのひとつに「空想虚言者」という類型がある。
1.【想像力が異常に旺盛で、空想を現実よりも優先する】
一見才能があり博学で、地理・歴史・技術・医学など、何くれとなく通じていて話題が豊富であるが、よく調べるとその知識は他人の話からの寄せ集めである。
2.【弁舌が淀みなく、当意即妙の応答がうまい】
好んで難解な外来語や人を脅かす言説をなす。
3.【人の心を操り、人気を集め、注目を浴びることに長けている】
自己中心の空想に陶酔して、他人の批判を許さない。
自ら嘘をついて、いつのまにかその嘘を自分で信じ込んでしまう。だから自覚がないのです。自覚がなければ自戒もない。当然何度も繰り返します。息を吐くように…。
被害者ヅラする
特にこの中でなにがいちばん悪質かというと、3の「自己中心の空想に陶酔して、他人の批判を許さない」という点。
嘘を嘘だと見破られると、脳内で都合よく変換し、まるで自分が世界一かわいそうな被害者であるかのような振るまいをして、同情を買うような言動を繰り返すようになります。元はと言えば自分で嘘をついたことが悪いのですが、なぜかその部分はすっぽりと記憶から排除。結果、批判する人間が加害者みたいな意識にすり替わるのです。
異次元の住人
あたりまえの道徳心があれば、「嘘をついてバレたらこうなる」という、おおよその予測を立てるもの。その予測がハードルの役割りを果たすから、バレバレの嘘はつかないように、自らにブレーキをかけます。でもそのハードルという概念がないから平気で嘘がつけるのです。つまり次元の違い。どういうことか、詳しくご説明しますね。
一次元は点。二次元は点と点を結んだ線でつまり平面。三次元はそこに高さの概念が加わった立体の世界。
三次元の世界に二次元の人間がいたとして、そこにポンとハードルを置いたら、高さ(つまり立体)の概念が存在しない二次元の人間は、突然一本の線が現れたとしか思えない。
いくら三次元の人間が、「これはハードルなんだよ、飛び越える前にけつまずくかもしれないよ。上手く飛び越えても着地で失敗すれば、重力が加わる分だけ大怪我をするかもしれないよ」と言っても、高さというものが存在しない概念を、けして理解できないどころか、横槍を入れるうるさい存在くらいにしか思いません。
この現実の人間同士でも二次元と三次元という具合に、次元の違う人たちがいるんじゃないかと思いました。だから普通の人ならしないそのまさかを平気でやってのけるのです。これを世間一般ではブレーキのぶっ壊れた暴走車に分類しますが、二次元の人は自分が狂ってるとは思ってません。三次元の方がおかしいくらいに思ってます。そのくらいどう言葉を尽くしても、違う次元で生きている人には通じないのです。
嘘の中に真実を散りばめる
巧妙に嘘をつく人は、目の前の相手を信じ込ませることだけに意識を注ぎます。そのために純度100%の嘘はつきません。嘘の中に少しずつ真実を織り交ぜます。
その織り込まれた真実の部分をスケープゴードに、いちばん見破られたくない嘘を巧みにカモフラージュしながら少しずつ話をすり替えていきます。
これは元刑事をしていた義兄から聞いた話ですが、詐欺師はほぼこのタイプだそう。
相手を信じ込ませるためには、なによりも自分がいちばんにその嘘を信じこまないといけない。そのために真実をところどころに織り込みます。そうすれば澱みなく堂々と嘘が言えるし、相手にも「そういえば…」という部分をなんとなく想像させることができるから。
具体的な手口をご紹介しますね。例えばですよ、「星野源とマツコ・デラックスがラブラブだって!」と言ったとして、アナタ信じますか?信じませんよね。
ではこれはどうでしょう?
「星野源とガッキーがラブラブだって!」
すると「ああ、ドラマでもいい雰囲気だから」と思って、信じちゃうかも…ですよね。だってドラマでは、本当に息の合った演技をしていたんだから。過去、共演をきっかけにラブラブになったカップルが本当にいくつも存在するんだから。
その本当にあった事実をパズルのようにうまく織り交ぜて、信憑性のある嘘を作り上げます。問題は次。
やがてそれを幾度も重ねていくと、神経が麻痺して自分でもどれが真実で、どれが嘘なのかも忘れてしまう。しかもその嘘は毎回上書きされるから、前の嘘はなかったことになり、最終的に辻褄が合わなくなるというわけです。
それでも一貫して彼らはこう言います。「私は嘘はついてません!嘘は大キライです!」
この手のタイプにいちばん引っかかりやすいのが、後にご説明するバレバレの嘘を嘘だと見抜けない人たちです。
なぜバレバレの嘘を見抜けないのか?
「あなたたちは聞いても聞かず、見ても見ず」
思い込みの目は濁り、思い込みの耳は大切なことが聞こえない…。これは聖書の中でキリストが言ったとされる言葉。
たいていの人は「この人はこういう人だ」と思ったら、そうとしか見なくなります。
例えば「Aさんは仕事においては信頼できる人だ」と思えば、他のことでもそうだろうと勝手に想像します。その本人も、まさかそこに「思い込みの壁」があるだなんて思ってないから、Aさんの言葉を1から10まで鵜呑みにします。
はい、ここで信者の出来上がり。一丁上がりでちょろいもんですね。壺を買わせるまであと一歩。
仮にAさんの中に、ほんの少しの矛盾点があったとしても、思い込みの壁はいちばんの矛盾点を無いものにしてしまいます。ここが怖いところ。
言葉に敏感な人にはそのほんの少しだけで十分な情報量となり、思い込みの壁なんてあっけなく崩れ落ちて目の前に別の視界がパーッと広がるのですが、聞いても聞こえない耳しか持ちあわせない人種にそれをいくら説明しても、戯言にしか聞こえないのです。
思い込みが強くて盲信する人は、例えば別の誰がが「Aさんは仕事においては信頼できる人だけど身勝手な人だ」と言ったとしても、「だけど」以前しか聞いていません。その人が本当に言いたいのは「だけど」以下の「身勝手な人だ」の部分ですが、それを理解できないのです。自分にとって都合のいい部分しか聞く耳を持ち合わせてないから。
これは盲信する側だけではく、信者を集めたい側にも共通する部分です。批判と誹謗中傷、非難と指摘の区別がつかず、戦時中の言論統制みたいな意識でいる裸の王様も、自分にとって耳障りのいい言葉だけにすがる傾向がありますから。
でももしかたら、嘘を嘘とわかった上で、保身目的でおかしいものをおかしいと言わない、裸の王様の周囲にいるような輩が、この世でいちばん怖いのかも。
その手の輩を直すことは不可能。自衛の手立てはただ一つ。関わらないことです。
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TAKAKOさん、コメントありがとうございます。私も過去にこの手のタイプに悩まされたことがあります。こういう人って、姿形は違っても、どこからどう見ても共通するものがあります。
別の方はこれを「サイコパス」ではなく「悪性のナルシシズム」だと指摘していました。初めて聞く言葉なのでそれをずっと考えていたのですが、私なりの解釈を次のエントリーにしたいと思います。上手く書けるか心配(*^^*)
素晴らしい考察です。頭の中がスッキリしました。
私は詐欺師にすっかり騙されてる人間が、その嘘を信じたおかげで仲のよい同僚の態度が素っ気なくなりました。
何を言っているかは、大体想像がついているのですが
大人なので耐えて(笑)何となくモヤモヤしていた所です。
以前、私も人事もやっていたので色々な問題児は観てきたり
対応してきたのですが、今回は初のサイコパスでした。
サイコパスが信頼性のある過去の職業と
それなりの容姿を備えてると人間を騙すのって簡単ですね。
そして被害にあった人間に確かめもせず話を鵜呑みに
する人間が多いことにビックリです。
※私のポジションは被害者の仲間=敵です。
人間観察としていい経験でしたが、そのマイナスの余波は
現在も続いて、ひたすら忍耐です。
明快な文章に心がほっとしました。ありがとうございます!