熊本地震によって甚大な被害に遭われた方たちに心からお見舞いを申し上げます。
今月14日に発生した地震について、被災地だけでなく、ネット上も混乱しています。
被害の状況、役立つ情報、根拠のないデマなど、連日のようにさまざまな言葉が錯綜しています。
人々の関心がそれだけ熊本に向いている証拠です。
一般人であれ芸能人であれ、日本に住む以上思いはみな同じ。きっとそれぞれの立場で被害者を気にかけ、遠く離れた地からでも、「今、自分ができることは何か?」を考えています。
「火の国の神様」が紀香に炎上という祟りを与えた?
藤原紀香さんもその一人。4月16日のブログ「どうか どうか…」の結びの言葉、「火の国の神様」という一文が大炎上し、その結果、現在は該当箇所を削除しています。
こうなってくると「火の国の神様」を持ち出した結果が炎上に至ったというのは皮肉な話です。
それにしてもなぜここまで彼女はバッシングを受けるのでしょうか。紀香さんには阪神淡路大震災の記憶があるから当時を思い出して、純粋に被害に遭われた方たちを心配して精一杯励まそうとしただけです。
少なくともその記事のコメントの中には「励まされた」という被災者からの感謝の言葉が寄せられていて、紀香さんの思いをちゃんとくみ取った人は確かに存在しています。
けれど実際は「偽善だ」「あざとい」「いい人アピール」「自分に酔っている」などと、言葉尻をとらえて大炎上。
藤原紀香の脳内で「火の国」という発想に至るまでの経緯
中には神様を持ち出したことで「天罰とでも言いたいのか!熊本に失礼だ」と辛らつな書き込みもありました。これは東日本大震災の時に石原新太郎氏が語った「天罰」発言に関連づけての意見です。
だけどねぇ…。揚げ足を取ればキリはないけど、そこまで深く考えてなかったと思いますよ。
もちろん非常事態ですから有名人であればなおのこと、言動には十分な配慮が必要です。
「それが足りなかった」と言われればそれまでだけど、少なくとも悪気はなかったと思います。
あの文面に関しては、大地震に対する思い入れが人よりちょっと強すぎたことが空回りしたのかもしれませんが、それだって神戸の震災による一種のPTSDみたいなものでしょう。
紀香さんだけではなく、誰だってニュースで流れる悲惨な状況を見れば「これ以上被害が拡大しなければいいな」と願うはずです。だからといって私は「火の国の神様」には祈らないけど、そこが大女優と一般人の違い。
紀香さんの中では「願い→祈り→神様」から始まり、「神様はたくさんいるけど、いったいどの神様に祈ればいいの?」とイメージをどんどん膨らませ、その結果「熊本=火の国」に至ったのだと思います。もちろん叩く側もその程度はわかった上で文句を言っているのでしょう。
それにもめげず、「やらない善よりやる偽善」として80分しか寝なくても応援メッセージを続けるあたり、さすがです。それすらも悪く解釈されていようですけどね。
と、ここまではあまりにも叩かれている紀香さんへのフォローですが、これ以降、率直な感想を書いてみます。
求められる支援のありかた
本気で被災者のことを祈るなら、それは心の中で唱えればいい。わざわざ発表することではないと思います。
時間の流れと共に支援の内容は変わります。その時々の状況に応じた応援の仕方があるはずです。
パニックに陥り心がピンと張り詰めているような時に、あまりにも悲痛な応援の仕方をするのは、かえって被災者の不安を煽るだけです。
今は生きるために必要な物資を運ぶこと、避難をさせることが何よりも先決。自衛隊や国が頑張る時です。そこにいない私たちはふだんどおりの生活をしながら経済をまわし、可能な範囲で募金をすること。そして必要な物資や必要とされる人材が何かを的確に見極めることです。
時間が進むごとにそれらは刻々と変化していきます。
それらはかつての震災で学んだことではないですか。
今、関心を寄せている多くの人たちは、その情報をネット上に求めています。そう考えると、被災者に対する励ましや応援メッセージはもう少し先の段階でもいいのでは?
ネット上の混乱は、本当に必要な情報への妨げです。混乱している被災地に、千羽鶴や応援メッセージを書いた寄せ書きを贈るようなものです。
ウサ晴らし目的で個人レベルの好き嫌いをネット上に持ち出すのは、被災者にとって足かせでしかありません。これは家庭内の不用品を送り付けるのと同じです。いや、不用品よりもっとタチが悪い。汚物を送りつけるようなものです。
他の著名人たちは「頑張れ!頑張れ!」と応援メッセージを発信しています。ショックを通り越して言葉も出ない、怖くてたまらない、ただ茫然とするばかりの時に、何をどう頑張れというのでしょう。現段階でのみ、そのメッセージが本当に被害に遭われた方々の心に届くのか、はなはだ疑問です。
今は被災者の方たちが生きることを第一に考える時です。本当に必要なものは何かを見極める時。
なんとか生き延びて、安心して眠れる場所を確保できて、食べ物がちゃんと調達できて、ゆっくりお風呂に入れて、少しずつ落ち着きを取り戻すようになって、それからようやくかつての日常を取り戻すために人は前に進もうとし始めます。
その過程の中には起きてしまった現実を受け入れるという厳しい手順を踏まなくてはなりませんが、応援の言葉が必要なのは、まさにそんな時。
つらい思いを乗り越えて勇気を出して「エイッ」と立ち上がろうとするその瞬間こそ、後押ししてくれるような力強い言葉や温かい心が必要です。
今は絶望の淵にいて、明日のことなんて考えられないと思いますが、それでも必ず道は開けるものと信じています。
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