2月4日に放送された「徹子の部屋」。
ゲストは徹子さんと長年の友人である大橋巨泉さんと永六輔さんでした。お二人の姿を見た時、目が点になった方も多いのではないですか?
改めて伝説すぎる回だよ、徹子の部屋は‼︎
日本のテレビ黎明期を作り上げたお二人の、こういった姿を見せる気迫に、テレビというメディアが終わっても、納得してしまうほどの歴史的価値の重みがありますね。 pic.twitter.com/LIOOHncEDl— アフロでないO2 (@afro002) 2016, 2月 4
物議をかもした二人の出演
私は正直、絶句しました。この放送は大きな話題を集め、「よく出た」「りっぱ」と称賛する人もいれば、「見ていて痛々しい」と、ショックを受ける人もいたようです。
周囲からは心配の声もあったようですが、「徹子さんとの約束だから」ということで出演し、涙ぐみながら再会を喜んでいたのが印象的です。日本のテレビ界の礎を築いたお三方。固い絆で結ばれていたんでしょうね。
風貌はかなり変化していましたが、巨泉節は健在。声の張りも滑舌も現役時代そのまま。気持ちは前を向いている感じです。
巨泉さんのがんとの闘い
しかし、なんといっても巨泉さんの痩せ方がショックでした。病気をする前はかっぷくが良く、80キロあったと言いますが、今は50キロしかないそうです。
最初にがんが見つかったのが2005年。胃がんの手術を受け、その時は完治しましたが、2013年、今度は中咽頭がんが見つかります。
この時はリンパ節にも転移した状態で、すでに末期がんになっていました。
手術と放射線治療で乗り切りますが、がんの転移は止まらず、2015年には肺がんの手術を受け、続いて腸閉塞の手術を受けることになります。
このように2005年から現在までの11年間、巨泉さんは何度も大きな手術を繰り返してきました。放射線だって3回もやったと言います。手術も体力的にもう無理。放射線もこれ以上はできない。
できるのは抗がん剤だけだそうですが、「抗がん剤だけは死んでもやりたくない」と拒否したそうです。すると友人の医師から「今は飲む抗がん剤があって、それなら副作用が少ない」と言われたとか。
もうね、頭が下がります。私ならその前に諦めるかもしれません。
がんとの付き合い方
よく「がんと共存する」とか、「がんとつきあいながら長生きする」と言う人もいますが、口で言うのは容易いこと。現実はとても厳しいものであると、少なくとも巨泉さんを見てそう感じました。
それでいて巨泉さんの中に悲壮感を感じないのは、なぜでしょう。すでに自分の運命を受け入れたからでしょうか?
諦めている感じでもなく、投げやりというのでもなく、折り合いをつけながら静かに、穏やかに、目の前の現実と向き合っているような感じを受けます。希望はないけど絶望だけでもないという感じです。
我慢には終わりがあってほしい
病気をするといろいろな我慢が要求されます。治療の痛みや苦しみだけでなく、自由と自由に行動する体力を奪われます。
例えば健康なら「春になったらお花見しよう」と予定を立ててそれを実現できますが、病気をすると治療が優先ですから、入院や手術の日程次第ではそれができないこともあります。
体力が落ちてくれば自分の行動にも制限がかけられます。
また「人混みに行ったらインフルエンザが心配」といった具合に、健康を害せば、どうしても我慢しなければならないことが増えていきます。
そのため「好きなことを自由にできるようになるために、今は我慢して治療に専念しよう」となるわけですが、その我慢が「今だけ」なら我慢もできます。
でも死ぬまで続く終わりのない我慢は地獄です。
気力は無限ではない以上、我慢も不幸も有限であってほしいのです。
難病を抱えた人の願いは、我慢しなければならない状態になったらできる限り短い期間内に、同じ我慢を二度としなくて済むような状況になることです。
それつまり完治ですが、完治が不可能とわかった時に、巨泉さんのようにあるがままを受け入れることができるのでしょうか?
もし私なら…?
私には自信がありません。
と思うと、いろいろな意味ですごい人だなぁと、あの放送を見て感じました。
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