ご近所の方から亀十のどら焼きをいただきました。浅草では連日大行列ができる人気のどら焼き、私もダイスキです。飛び上がって喜びました。
「うわぁ、ありがとう!」
贈りものの決まり文句が私を凍りつかせた
ここまではよかったのですが、彼女の口から出たある一言がその喜びに水を差しました。
「こんなものしかなくてすみません」
へっ、なんかおかしくないですか、その日本語?
“こんなもの”しかなくてって…。しかも贈るあなたがもらう私に対してなぜ謝るの??
改行ごとにクエッションが増えていきますが、まさにそんな感じで、「はっきり言って意味わかんねーし」というのが正直な気持ちです。
ただこの方のケースはかなり特殊で、ボキャブラリが驚異的に欠如しているためにこのような言い方になったのですが、直訳すれば「つまらないものですが」という意味だったと思います。
どちらにせよ、これがベストと思って一生懸命選んだ品物で、入手するためにそれなりの手間暇をかけたなら、へりくだる必要なんてありません。フツーに「喜んでくれたらうれしいわ」の一言だけでいいと思いません?
その方がグッと距離が縮まります。
「謙遜」を美徳とする日本人
「へりくだる」という言葉からふと、「謙遜」の二文字が頭に浮かびました。
へりくだること。控え目な態度をとること。また、そのさま。
(中略)
自分の能力・価値などを低く評価すること。控えめに振る舞うこと。 「 -した言い方」 〔類義の語に「卑下」があるが,「卑下」は自分自身を低くし卑しめる意を表す。それに対して「謙遜」は自分の能力や功績などをおごらず,控えめに振る舞う意を表す〕
情報源: 謙遜(ケンソン)とは – コトバンク
仕事で成果を上げて「すごいね」と評価されれば「たまたま、偶然ですよ。運が良かっただけ」
「ステキな服ね」と褒めれば「こんなの安物ですよぉ~」
わが子が頑張ってテストの成績が一番になってもママ友を恐れて「うちの子なんてダメダメ」
日本では謙遜が美徳とされ、あちこちでこのようなやりとりを耳にしますが、わざとらしくて私は苦手です。
だってそんなことを言われたら、「そんなことはありませんよ」と言うしかなくなるでしょ?
嫌われまいと先回りして自分を貶めるのは勝手だけど、貶めた分を相手に持ち上げさせたいという意図が垣間見えてウザイし面倒。ある意味、ハラスメントみたいなものです。
日本独自の「謙遜」の文化はなぜ生まれた?
この謙遜という文化は日本独自のもので、海外ではけっして「つまらないものですが」なんて言いながら贈りものをしません。
「これ、とてもおいしいわよ。絶対に気に入るはず。自信を持っておすすめするわ」と、率直にアピールします。
褒められたら素直に「ありがとう」と言い、間違っても「私なんて」という言葉は使いません。
海外と日本の違いはどこにあるのかと考えてみました。で思い出したのが日本人のルーツは農耕民族であるという話。
日本人は横並びを好むと言われています。みんなと同じなら安心で一番怖いのは村八分。だから控えめにふるまうことが美徳であるという考え方が自然と根付いたのではないでしょうか。
とりあえずへりくだっておけば「あいつ、生意気だ」と陰口をたたかれることはありませんし、出る杭を打たれる心配だってありません。
要は傷つきたくないから謙遜の言葉を並べて自分を守ろうとするのです。つまりは自分のための鎧。
でもね、「周囲のおかげ」という言葉を添えれば鎧なんて必要ありません。
本来「謙遜」は相手のためにあるべきもの
本当に相手を立てたいなら相手のために言葉を選ぶべきです。必要以上に自分を下げなくても感謝や尊敬の気持ちは伝えられるはずです。
その方がきっと相手の心にストレートに届くのではないでしょうか。少なくも、嫌われまいと先回りして言葉を選びながら顔色ばかり伺うよりはるかに効率的です。
まわりっくどいことをしなくても、もっと自然に、もっと堂々と、もっと率直にお互いを認め合えば、それだけで人との距離は近づくはず。
自分を貶めたりしてはダメ。自分がいちばんの理解者にならなきゃ。その上で鎧をかぶらず心で付き合いましょう。それが本当の社交術です。
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