偉大なDivaといえば、まず頭に浮かぶのはTina Turner(ティナ・ターナー)。特にLet’s Stay Togetherは、30年経った今でも大好きな曲の一つです。
初めてこの曲を聞いたときの衝撃は大きかったです。
パワフルで野性的な歌声、なのにその歌声の中には、どこかもの悲しさがあるように感じたことを覚えています。
そのもの悲しさは、波乱万丈の人生とリンクしているのかな?と、今は勝手に推察しています。
1983年…。耳に心地のよいAORと呼ばれる軽いサウンドが主流だったこの頃。日本では「金妻」が流行りました。
オサレな街のこれまたオサレな家で、オサレなワインを飲みながら「ダンナの年収、一体いくら?」と聞きたくなるようなオサレな服を着て集まり、週末ごとにホームパーティー。
まさに「不倫は文化だ」を映像化したようなこのドラマ。
女性のファッションも特徴的。
肩パット入りの服にイモトのような太い眉毛で意思の強さを表し、その一方でさらさらの巻き毛で女性らしさを表すという両極端な個性がぶつかり合う時代です。
両極端といえば、「金妻」が流行ったこの年に「おしん」も流行ったわけだから、新しさと古さがぶつかり合う時代だったんでしょうね。
そんな1983年にこの、髪をふり乱した、決して美人とは言えない(失敬)中年のオバサンの登場。
40代半ばで見事なプロポーション。ミニスカートに高ーいヒールのパンプスはいてステージに立てば、そこにいるだけで引き込まれるようなオーラがあります。
「な、なんだ?このオバサンは・・」衝撃は大きかったです。
一瞬で心を奪われ、Tina Turnerに魅かれました。
それまで全く知らなかったけれど、過去にはアイク&ティナ・ターナーとして一世を風靡した人だと知り、「ああ、そういえばプラウド・メアリーって曲が昔あったわよね」と遠い記憶を蘇らせました。
色々調べてみると長く不遇の時代があったようです。
夫・アイクのDVや薬物問題、そして離婚、自殺未遂…。
奇跡の復活を遂げたのが1984年発表のアルバム「Private Dancer」。
すぐさま85年のライブビデオ(当時はまだビデオ)を購入。
ゲストのブライアン・アダムスも、デビット・ボウイもティナの前ではかすんで見えます。
水を得た魚のように歌う喜びに満ち溢れた圧巻のステージ。
Private Dancerからシングルカットされた「愛の魔力」ではグラミー賞最優秀レコード賞、最優秀楽曲賞、最優秀女性ポップボーカル賞に選ばれたという、まさに2死満塁の逆転ホームランという劇的な復活を果たしました。拍手喝采だね。
その後も順調に活躍を続け、ウィキペディアによれば
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第17位。 「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第63位。
とあります。つい先日も長年のパートナーである音楽プロデューサーと婚約したというニュースが流れました。
女は強し。今度こそお幸せに。
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