Violet@Tokyo

映画「ボヘミアンラプソディー」の感動に水を差す面倒な人

約 3 分



昨日もまた、映画「ボヘミアンラプソディー」を観てきました。

11月の公開直後に観に行ってから、実にこれで通算4回目の鑑賞。ひとつの映画をこれほど短期間のうちに観に行くなんて、この映画が初めてです。

不思議なことに、一度目より二度目、二度目より三度目という具合に感動が深まり、自宅に戻ってからもQueenの音楽を聴き、Queenにまつわる記事を読み漁り、YouTubeで当時のライブ映像を観ている毎日。

「こんなことをしていてはダメ。このままじゃ私、何も手につかない。これで最後にしよう」と決めて劇場に足を運ぶも、また同じことを繰り返し、今も頭の中はQueen一色。実に幸せな時間。幸せで幸せでたまらない時間。これが音楽の力です。

黙って楽しめ

さてそんな中、人々の感動に水を差す「面倒な人」が湧いて出てきてウンザリ。

重箱の墨をつつくように、やれ「史実とは違う」だの「時系列がおかしい」から始まり、聞いてもいない「リアルタイムからのファン」とはなんぞやを語る語る。

例えばこんなの。

「Queenの音楽をiPhoneで聴くのはファンとは言えない。LPで聴け」と言い切り、「スピーカーがー、アンプがー」と、まるでどこぞの音楽評論家さながらの、聞きかじりのウンチクを語ってはドヤ顔する人。このような「にわかエセ評論家」が湧き出てくるのも大ヒットならではの弊害とはいえ、実に気の毒な人だと思わずにはいられません。

もっとひどいのは「私が○年生の時にはお前は○年生だろ。このアルバムが発表された時にそれを聞いたのか?」「どうせ少し有名になってから知っただけだろ」と、自分の年齢が相手より上というだけでマウントポジションを勝ち得た気分になってる人。

「お前、こんなことも知らないの?」と、自分ではどうにもならない「年齢」という壁を武器にしてマウントするって、滑稽というか、哀れというか…。

頭でっかち同士が頭の大きさを競いあっているみたいで、出来の悪い笑い話もいいところ。いや、笑い話にもできません。

「お客さん、野暮ってもんですよ。つべこべ言わずに黙って楽しむのがエンタメってもんでしょ」と言いたくなります。音を楽しむと書いて音楽。したり顔して薄っぺらいウンチク語る暇があったら、まずは楽しめや。それができないなら、せめて黙っとけ。

「壁ではなく橋を」の思いで作られた映画

特にこの映画では移民やマイノリティ、容姿など、他者との違いや差別・偏見に悩み苦しんだ孤独なフレディーの姿がしっかりと描かれていました。

自称・フレディーのファンならなおのこと、「当時のことを知らないクセに」と誰かを見下すのはフェアではないと思うのです。

そういうのを見聞きするたびに、少し前にブライアン・メイがインタビューで語っていた「壁ではなく橋を築きたい」という言葉を思い出します。つまり人とのつながり。Queenがもっともたいせつにしてきた観客との一体感も、その思いから生まれたものだと感じました。

差別を受けてきたからこそ誰よりも「自分のままで人とつながれたら」と切望してきたフレディー・マーキュリー。現代人の多くが抱えるであろう人間ならではの孤独が、Queenの音楽とともに胸に迫ってくるすばらしい映画です。まだの方は、ぜひ音響の良い映画館を選んで観に行ってください。

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