「攻撃してくる人は困っている人」というキャッチコピーが気になり、身近な人の「攻撃」がスーッとなくなる本を読みました。
著者は「対人関係療法」の精神科医・水島広子さんです。Amazonでも評価が高かったので購入を決めました。今回は「身近な人の攻撃がスーッとなくなる本」を読んだレビューを書きます。
内容
前半は攻撃する側の心理を詳しく解説しています。中盤からは攻撃される側の心理にも触れ、後半は具体的な対処法を紹介しています。
タイトルから察すれば、相手からの理不尽な攻撃をやめさせるものかと期待しますが、そうではありません。ざっくり言えば攻撃する相手を変えるのではなく、攻撃された時の自分の捉え方、つまり意識ですね。それを変えろという内容です。被害者意識を軽くするための考え方が書かれています。
だから実質的な攻撃は一向になくなりません。「もう、どんな相手でも大丈夫」、「今すぐ、どんな問題もすっきり解決!」と書いてありますが、攻撃も多種多様で、ごまめの歯ぎしりくらいならこれでイケると思います。
でも悪質なものは「どうだろう…?」って感じ。
心理学書入門編としてはオススメ!
ただ全般を通じてとても読みやすい文体。そこは好感が持てました。特にこの手の書籍にありがちな難しい専門用語を使うのではなく、一つ一つの言葉を丁寧に選び、素人にもわかりやすく書かれているところは「さすが水島先生!」という感じ。
早い人なら数分で読み切ってしまうのではないでしょうか。とっつきやすさという点では、心理学の入門書としてかなりオススメです。
しかし、いくつも読んでいる人にはやや物足りないかもしれません。
「攻撃してくる人は困っている人」の意味
第一章の冒頭に「脅威!」と感じるから「攻撃」してしまうと書かれています。
動物は身の危険を感じると「闘争か逃避か」という反応を示します。人間も動物である以上、「脅威」を感じれば同じような反応を示します。逃げられなければ戦うのみ。
それが「防御システム」からくる「攻撃」で、この「脅威」を感じている段階こそが「困っている状態」、「助けて!」とのことですが…。
これ以降、正直な感想を書いていきます。
「攻撃してくる人」は「困ったちゃん」ですって?!
ここまで読んで、「なるほど」と思う反面、「いやいや、攻撃する人は”困っている人”ではなく、ただの”困ったちゃん”でしょ。真の”困っている人”は、攻撃された被害者でしょ」というツッコミどころが、多々多々多々多々あります。
野生の動物なら脅威に対して歯をむき出して防御態勢を取るのはわかる。しかし日々PCやスマホを使い、炊飯器で炊いた飯を食いながら文明にどっぷり浸かって生活している人間に、なぜ攻撃となるとサバイバルの理屈を当てはめようとするのか。
文明社会で暮らしている以上、いくら困ったからとはいえ、むやみに他人を攻撃して良いという理由にはなりません。被害者が加害者に情状酌量のネタを考えてあげる必要なんてないのです。
この手の書籍にヒントを求めている人は、「ああ、またほざいてる」程度でやり過ごせるような、負け犬の遠吠え以上の理不尽な攻撃を受けている人だと考えれば、この内容だけではやや役不足かと。
なぜなら、野生の動物はその場だけで後腐れなく終わるのに対し、人間はいつまでもネチネチ続くからです。しかも衣服を身にまとっているから野生かどうかの見分けもつかない。当然捕獲もできない。
相手を安心させれば図に乗りますって!!
「脅威」と思わせないために、自分の言動を見直す、つまり「相手を安心させればいい」と書かれていますが、それもちょっと違うと思うのです。
動物を例にしているので私も犬を例にします。私は愛犬の散歩をする時、道の向こうからよく吠える臆病な犬が歩いて来る時は、正面から行き合わないように弧を描くように歩きます。それは真正面から向き会うことを、臆病な犬は「対戦」と捉えるからです。
相手の犬に「戦う気はないよ、安心していいよ」というメッセージを送る意味で弧を描くように歩くのですが、やはり通じない犬には通じません。
というより飼い主がその理屈を知らない場合がほとんど。こちらは避けているのに、甲高い声で「あ~ら、お友達」とか言って、わざわざ近寄って来るわけです。当然ながらガウガウやってる。当たり前ですよ、そもそもお友達じゃねーし。
しかもその飼主、「吠えちゃダメ」と叱っている。すると次からその犬は「よその犬が来ると叱られる」と学習し、犬嫌いが余計に加速します。そうなると、いくらこちらがカーミングシグナルを出して安心のサインを伝えても、伝わらなくなるのです。
これは人間も同様。タチが悪いのになると吠えるだけでは飽き足らず、尻尾を振りながら噛み付いてくる人間もいます。特にこの手のタイプ。
私は、こういった野生の人間には安心を与えるより、孤独を与えてさしあげた方がずっと効果的だと思っています。まぁ放っておいてもやがてそうなりますけどね。
媚びるのも攻撃
上記までは「やや違う」と思った内容でしたが、一つだけ、「これは目からウロコ!!」と思うくだりがありました。
ステップ1「なぜ、その人はあなたを傷つけるのか?」〜27ページに「脅威1…相手の敷地に踏み込んでいる」という項目があります。その中に「媚びる人」がこれに当たると書かれていましたが、まさにドンピシャ。
私は媚びる人がどうも苦手。いつも人の顔色を伺い、見え透いたお世辞を言ってはヘラヘラと迎合する人。どこからどう見ても白なのに、相手が黒といえば自分の意見を押し殺して黒に従う人。
まぁ直接自分に危害を加えてくるわけではないからと、遠巻きに見ていましたが、常々「自分の意思とか、自分の決定に対する責任を持ち合わせないのかな?」と、この手の人種を不思議に感じていました。
で、それだけビクビクしているなら全てにおいて謙虚なのかと思いきや、そういう人に限って図々しい一面もある。境界線おかまいなしに土足でズカズカ踏み込んできたりする。その落差に違和感を抱いていました。
媚びる人が図々しい理由
そのギャップの理由がこの本を読んでわかりました。こう書かれています。
「媚びる」というのは、相手の反応をコントロールしようとする態度だからです。
つまり「私は従順な態度をして精一杯ゴマすります。だから、その分だけ私に優しくしてね」と、相手に無言の圧力を強いているわけです。この圧力こそが攻撃であるとのこと。
確かにどう感じようと人の自由。ゴマすりを好む人もいれば、私のように、そういうタイプを気持ち悪いと感じる人もいる。
けれど相手はその自由を無視して「あなたが好みそうな態度を取ってあげたのだから、私を気に入って」という計算のもと、ズカズカと踏み込んでくるのです。
なぜそうできるのか?
ゴマすりという行為を「相手に対するサービス」と捉えているからです。過剰なサービスはいらないと考える人の存在なんて考えていません。だってサービスはいいことだと思っているから、見返りが得られるまでガンガンそれを続けます。
しかしサービスと利益はセットであることを知っている人間に、商売でもない通常の人間関係でそれをやられたら、居心地が悪くなるのは当然のこと。
「だから窮屈に感じるのか」と、そのくだりを読んでいたく納得した次第。
最後に
以上ざっと駆け足でご紹介しました。
私は一冊の本だけで全ての答えが得られるとは思っていません。仮に同じ本を読んだとして、手にした時の状況によって求める答えは違ってきます。今読んだときはこう感じたけど、後に読み返したらまた別の感想を抱くことはよくあります。
なにが言いたいかと言うと、一冊の本の中に、何か一つでもその時に探していた答えがあればそれでOKだということです。そういう意味では当たりでした。だからついでにこんな本も注文してしまいました。そのレビューはいずれまた。
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