今日は可燃物の回収日。どこの自治体でも、日によって回収する物が違うと思いますが、私の住んでいる場所は月・木が可燃物の回収日と決まっています。そんな日は不思議な現象があります。
なぜか可燃物の日に限って井戸端会議が勃発します。しかもそれは、5分10分の挨拶程度のものではなく、1時間は最低でも当たり前、ひどい時は数時間にも及びます。まるで体力勝負の耐久レースです。
私は全く興味もないし、ちっとも楽しいと思わないので参加しませんが、犬の散歩中、たまたまそこを通りかかったときだけは軽く挨拶程度でやり過ごします。無言というわけにもいかないので、当たり障りのない「暑いね、寒いね」程度の、絶対にそれ以上には発展しなさそうな話題を選んで早々にその場を後にします。
こういうとき、犬がいると便利です。つかまって長引きそうなときは、犬に話しかけるようにして「あら、喉乾いた?」とか「お腹空いた?」などと適当に言って、逃げる口実を作れるからです。
それにしてもなぜ可燃物の日なんだろう?近所の実態はこうだ。参加者はいつも決まっています。井戸端がダイスキで、いやいや、ダイスキを通り越して井戸端依存症ともいうべきボスママが一人います。そのボスママは、道のど真ん中であれスーパーであれ、至る場所で誰か知り合いにでも会えばその都度、大声で延々喋っています。とにかく色んな場所でそんな姿をよく見かけます。まるで路上生活主婦です。
まずそのボスママが、朝、ゴミ出しに出てきます。そのまま自宅に入ることはりません。玄関先の掃除をしながらずっと外に出ています。暫く粘って誰も出てこなければ諦めて自宅に入りますが、ゴミ出しの日は、たいていどこの家も決まった時間に出てきます。だから外で粘って誰かが出てくるのをじっと待っているのでしょう。
そこに子分の一人がゴミ出しにでも出てくれば、即、井戸端のスタートです。二人くらいなら道の隅でおとなしく喋っていますが、また別の家の主婦がゴミ出しに出てくると”集団”という意識が芽生えるのか、道のど真ん中に張り出し、大声でバカ笑いしたり、大げさな身振り手振りでお喋りする声のトーンも徐々に大音量になります。ちょっとした集団騒音おばさんです。
だけど、なぜ、道路のど真ん中に出ないと喋れないのでしょう?これも不思議です。道の支配者にでもなった気分でいるのかしら?コミニュケーションの一環を通り越した迷惑な井戸端は、傍から見てもあまり美しいものではありません。だって中学生レベルにしか見えないから。これを中二病というのでしょうか?
今の時期は夏の暑さが一段落して、外にいるのはさほど苦になりませんが、ずっと外にいると蚊に喰われる時期です。路上生活主婦にとってはそんなものは屁でもないかもしれませんが、よく周りがそれに付き合うものだと思います。他にやることがないでしょうか?本当に不思議でなりません。
ネットで「井戸端」なんて検索かけると、あまり良いことは書いてありません。どちらかと言えば「鬱陶しい」、「うるさい」、「迷惑」、「みっともない」、「感じ悪い」といった否定的な意見が圧倒的です。ところがやっている本人は全く自覚がなく、むしろ得意げです。ごく少数ながら「大切な情報源」という意見もあります。
でも本当に大切な情報なら、井戸端に頼ることなく、自分で調べるだろう、フツー。私は人から聞いたことであっても一応裏を取ります。鵜呑みにしないで自分でも調べます。本当に、自分にとってそれだけ大切なことならなおのこと。
と考えると、井戸端だけが情報源という人が、何時間もの過酷な耐久レースに参加するのでしょうか?たいした情報なんて得られないと思いますけど。そもそも仕入先が怪しいから。
世の中のことが知りたければ、新聞やテレビがあるし、ネットでも充分です。人とコミニュケーションが取りたければ、趣味の仲間と楽しみを共有すれば良いと思います。近隣とうまくやっていきたければ、挨拶を気持ちよく交わしている程度で私は充分です。いい大人が、必要以上に誰かとつるむ必要なんてないのに、と思うからです。一日の大半を井戸端で費やすようなそんなつまらない生き方、私はしたくないです。
最新情報をお届けします
Twitter でvioletをフォローしよう!
Follow @violet2005