人の悩みの半数以上を占めるのが人間関係のトラブル。
悪口、イヤミ、仲間はずれや刺々しい態度など、なるべく気にしないように振る舞ってもやはり気になるし、露骨に毒のある言葉をぶつけられるとつい言い返したくなるのではないですか?
でもそれはちょっとだけ待ってください。相手の思うツボです。
それよりも以下の格言を読んでみてください。相手の悪意は断固として受取拒否して相手に持ち帰らせた方がはるかに効率的です。
美輪明宏
自分が清らかで優しければ「念返し」で悪い念は相手に戻る。
知恵ある者に怒りなし-釈迦
黙って聞いておられた釈尊は、彼が言い終わると、静かにたずねられた。「おまえは、祝日に、肉親や親類の人たちを、招待し、歓待することがあるか」「そりゃ、あるさ」「親族がそのとき、おまえの出した食べ物を食べなかったらどうするか」「食わなければ、残るだけさ」「私の前で悪口雑言ののしっても、私がそれを受けとらなければ、その罵詈雑言は、だれのものになるのか」「いや、いくら受けとらなくとも、与えた以上は与えたのだ」
「いや、そういうのは与えたとは言えない」
「それなら、どういうのを受けとったといい、どういうのを受けとらないというのか」
「ののしられたとき、ののしり返し、怒りには怒りで報い、打てば打ち返す。闘いを挑めば闘い返す。それらは与えたものを受けとったというのだ。しかし、その反対に、なんとも思わないのは、与えたといっても受けとったのではないのだ」
「それじゃあなたは、いくらののしられても、腹は立たないのか」
釈尊は、おごそかに、偈で答えられた。
「智恵ある者に怒りなし。よし吹く風荒くとも、心の中に波たたず。怒りに怒りをもって報いるは、げに愚かもののしわざなり」
「私は、ばか者でありました。どうぞ、お許しください」
外道の若者は、落涙平伏し帰順したという。
クセノフォーン ソークラテースの思い出
「笑うべきことだよ、君は身体の悪い人間に出逢っても別に腹を立てないのに、心が粗野にできている人間に出合ったというので、憤慨するというのは。」
君は犬や羊に足を踏まれたからといって、逆上し気が違ったように激怒するのかね?
リンカーン
自己の向上を心がけている者は、喧嘩などする暇がないはずだ。
「こんな人もいる」と、一歩離れて相手を見る
人間関係の悩みを失くす方法は、相手との関係を良くするか、自分の気持ちを変える──つまり気にしないかのどちらか。
でも前者の場合は相手あってのことなので、必ずしもうまくいく保証はありません。それより自分の意識を変えた方がはるかに楽チンです。
相手の毒は相手のもの。猛毒の感染経路がどうであれ、それはあくまでその人の問題です。あなたには関係ありません。
毒のある言葉をぶつけられたらイチイチ反応するのではなく、「あら、お気の毒な方」とか「ああ、こんな人もいるんだ」と、自分主体でものごとを考えてみてください。
これはもう習慣づけるしかなくて、もしかしたら「言われっぱなしで悔しい」と思うかもしれません。でも言い返したところでイライラが解消するかといえばそうではありません。一時的にはスッキリするかもしれませんが時間が経てば「もっと言ってやればよかった」と、別の怒りがこみ上げてきます。しかも言い返したことで関係はもっと悪くなってます。
それは相手のペースに乗せられたからに他ならず、相手の問題に首を突っ込んだことで毒に感染したからです。
毒のある言葉は「不幸への切符」と思え
では相手の問題とは何でしょう?
端的に言えば「満たされてない、不幸な状態にある」ということです。
そんな「不幸の切符」を受け取って、一緒になってどツボに向かうことはないでしょう?
どうせもらうなら、もっと自分がハッピーになるものを選びましょう。
何を言われても「あらそうですか〜」と、毅然とした態度で受取拒否の姿勢を崩さないよう心がければ、相手はいずれ自滅していきますよ。以上です。
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