Violet@Tokyo

必要以上のリア充アピールは眉唾もの

約4分



こんな記事を見つけました。

「増える「Facebookやめた宣言」 「リア充アピール」がうざい理由」

これ、何もFacebookに限ったことではありません。Blogにもうじゃうじゃいます。

けれど、いい年した大人の、必要以上のリア充アピールというのは、実は満たされない何かを持っているのではないかと、最近よく思うのです。その代表格はこの人。

「木嶋佳苗は今でも「ブログ更新」している!? プチ鹿島の世相コラム『余計な下世話!』連載13」

特にこのくだり。
「もともと事件が話題になったのも木嶋佳苗本人がブログを頻繁に更新し、セレブ(風)生活をせっせとアピールしていたからだ。おいしいものを食べ、派手な生活をし、うんちくを語る。アヒルは水面下では必死で水かきをしていると言われるが、木嶋も優雅な生活を保つために男たちを利用したという見方もできる。ブログが注目され生活が憧れられる。」

Blogで偽りのド派手な生活をアピールして、世の女性から憧れの目で見られたいと思ったからではないでしょうか。なんでかって? 自分の容姿にコンプレックスがあったからです。その裏返しが以下の言葉。

「スリムじゃないと恥ずかしいとか、モテないとか、強迫観念があるように見えるけれど、そういう不安にとらわれて女として生きていくのって、不自由だろう なあとお気の毒にさえ思います。だって私は一度もスリムな体になったことはないけれど、いつもハンサムでお金持ちの男性が傍にいてくれたから」

ご承知のように、「なんであの容姿で男が何人も騙されたの?」って思う人は多かったのでは?

少なくとも 私はそうでした。事件が報じられた時、「どんだけの美女なのよ」と思ってご本人のお姿を見たら、あらららら。ゲフッゴフッ・・、以下省略。

私もお気の毒にさえ思いました。だって強がり以外のなにものでもないからです。

本当は、自分こそがスリムになりたいと、自分の容姿に強いコンプレックスを持っていたのでは?

だから「デブでもモテます」的な発言につながったのだと勝手に想像します。

もちろんコンプレックスは容姿以外にもあったかもしれませんが、プライドだけはエベレストよりも高い彼女は、どうしてもそれを認めたくない、ネットの上だけでも世の女性から憧れられる「理想の私」を演じてたのだと思います。

自分こそは特別な存在だと信じていたから。

検察庁のコッペパンに至るまで、セレブを気取ってうんちくを語るあたり、現実逃避とでもいうか、人格的にどうなのよと、首をかしげたくなります。

彼女の例はかなり極端なものだけど、Facebookに限らず一般のBlogでも、たまにこういうのを見かけます。

さして若くもないいい年した大人が「デパートで買い物しました」と、これでもかー、これでもかー、と次々に買ったものを写真つきでアップしたりするのを見ると、「何がしたいんだろう」と、「こんな形でしか自己アピールができないのか」と、アイタタターな気分になります。

意見フォームにこんな書き込みがありました。

「自分はこんなに努力してるのに評価されないし認められないし、報われない」
日常でそう感じてる人ほど、簡易に自己アピールできるSNSというツールを使ってしまうんだと思います。友達は私を馬鹿にしてるとか、本当の自分はみんなの思ってるような私じゃないとか。あるいは、「自分にはこれといった物がない。自分はみんなよりも不孝かもしれない」
といった不安を抱える人が、どうでもいい日常生活の戯れ言を、いかにも自分は楽しみながら幸せに生きてますと書くことで否定してるのかも。

これも一種の現実逃避。

過度のリア充アピールの裏側には自己顕示欲や承認欲求が隠されています。

本当にその欲求が満たされているなら、ことさらアピールする必要がないのですから。

そしてtwitterには中学生からこんな鋭いご意見も。

これにはぐぅの根も出ません。中学生とは思えない冷静なご意見で。本物のリア充は、そうそう頻繁にブログなんてアップしてられないはずです。

・・ってことは、だったらこの人はどうなんでしょうか?

市川海老蔵のブログの更新頻度。

10月に、何かあったのかしら?

 

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