バドミントン界に激震が走った田児・桃田両選手の裏カジノ問題。
違法賭博に手を出したことは確かに悪いことだし、この件に関しての批判や受けた処分については「ごもっとも」と思えますが、雑誌社がばらまいたハレンチ写真の件に至っては話が別。
貶め以外のなにものでもなく胸くそ悪くてしかたがありません。
それに関しては「【バドミントン裏カジノ・違法賭博問題】もういいかげん、桃田賢斗選手を叩くのはやめませんか?」でも触れましたが、もう少し考えてみようと思います。
再起の道まで閉ざそうとするマスコミ
違法賭博問題に対する処分に関して、多種多様な意見が出ていましたが、あれは妥当な処分だと思っています。
いくら才能があるアスリートであれ、メダル圏内にある選手であれ、「悪いことは悪い」として、もみ消すことなく毅然と対処した関係者の判断は的確です。
桃田選手はメダルを取ることが第二の故郷である福島に対する恩返しだと思って練習を積み重ねてきました。
身から出たサビとはいえ、きっと今頃は取返しのつかないことをしてしまったという自責の念にさいなまれていることでしょう。それは本人が一番よくわかっているはずです。
だったらせめて周りの大人は「リオは残念だったけど、心を入れ替えて次こそ頑張れよ」と、背中を押してあげるくらいの優しさってないものかなぁ…。
けれど現実は足を引っ張る方向に向かっています。
「情け容赦なく徹底的に叩き潰してやれ!」という悪意すら感じて、なんだか桃田選手がかわいそうになってきました。
しかり方にもルールはある
例えば犬を叱るとき、一つの事柄につき一度の「NO」しかないんですよ。
しかも犬は3分で忘れますからいつまでもネチネチ叱り続けるのはマイナスにしか作用しません。
これは人にも通じること。
「犬と一緒にするな」と言われそうですけど、しかり方の基本は全てこれなんです。
例えば上司が部下を叱るとき、本人が反省しているにも関わらずいつまでもイヤミを言い続けるのが妥当かどうか。
大元になったミスの原因だけでなく、それに関連したことまで次々とあげつらって追い詰めていくのが妥当かどうか。
例えば夫婦ゲンカをしたとき、「あなたっていつもそう!あの時だって○○だった」と、ついでに過去の怒りまでエンドレスにぶつけるのが妥当かどうか。
そう考えればおわかりいただけるでしょう。ここで言う一度の「NO」は違法カジノ問題であり、スナックママとのキス写真は、しかり方のルールからはるかに逸脱した行為です。
ましてや保護者にも問題があるだなんて、とんでもない言いがかりです。親は子どもの夢を叶えるために、その時点でベストと思える方法を模索したに違いありません。
写真に関してのみ、叩くべき人間を間違えています。
いつから日本は懐が狭くなったのか?
数行上に「情け容赦なく」と書きましたが、いつから日本は情けがなくなったのでしょう。
古代、私が子どもだったころ、周囲の大人たちはよその子どもに対してでも、悪いことをすればきっちり叱ってくれました。それはあくまでも許すことを前提にしたものす。
そう、日本には、赦しの文化が根付いていたはずです。
「なぁに、若いうちは失敗の一つもするもんだ。失敗したらきっちり反省して、また一から出直せや」と、背中を押してくれる気風のいいおじさんが、どこの町にも必ずいました。
古き良き時代だったかつての日本は、失敗をした人間にもひとかけらのやさしさを与えてきました。
これは人と人とが気持ちよく暮らすための知恵として生まれた「江戸しぐさ」の考え方です。
逆に人の失敗をあげつらっていつまでも陰湿なイヤミを言い続けることは無粋とされ、「まるで女の腐ったヤツ」と嫌われました。
江戸しぐさで言うところの「江戸っ子の風上にも置けねぇフテーー野郎」ってヤツです。
そうして考えていけば、まるで見世物のように桃田選手の恥部をさらけ出し、笑いものにするような行為はむしろ恥ずべきことではないでしょうか。
桃田選手に一言
試合に出られない日々が続けばランクはどんどん下がっていきます。試合のカンだって鈍くなります。再びスタートラインに立つときは、ゼロから、いやマイナスからのスタートになるに違いありません。道は厳しいです。
それでも胸を張って東京オリンピックに向けてまっすぐ進んでほしいです。
笑いたいヤツには笑わせておけばいい。
むしろ今のように逆風が吹き荒れるどん底からでも逞しく立ち直る姿を見せることの方が、福島の人たちや、支えてくれた人たちに対する真の恩返しではないでしょうか。
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