Violet@Tokyo

【遺産分割調停】相続と祭祀承継をどう考えるべき?

約8分



叔母の遺産分割調停も4回目。前回に引き続き、祭祀承継に関する話し合いをしました。

今後17回忌まで、14年分の墓守代として300万を要求した従弟に対し、断固として認められないとする私たち姉妹。民法上は祭祀承継と相続は無関係なので、従弟は余計にもらうことはできません。

遺産分割に際して、祭祀を承継することを理由に、遺産を多く取得することを求める当事者がいますが、これは認められません。

そのため相手の主張は却下。結論から言えばこちらの主張どおり、今回の調停では祭祀承継の件を切り離し、法定相続の割合通りに分割することになりました。

しかし今後の墓守をどうするかは宙に浮いたままです。それを考えると「本当にこれでよかったのか」と、一抹の迷いが残ります。

宗教上のこともからむので、「考え方次第」という曖昧な部分もあるし、まして家族の形態にも違いがあるため、相続と祭祀承継の問題は本当に難しいです。

どう考えればいいのか。実はまだ模索中。揺れています。

純粋に叔母の供養のためだけではないことが最大の理由

相続 祭祀承継

なぜ私たちが「祭祀承継と相続は無関係」という主張をしたかといえば、民法だけの問題ではありません。お墓の状況が大きく影響しています。

一つだったお墓が二つに増えていた

独身・子なしの叔母が自分のお墓を建てたのは、今から25年ほど前のこと。

お墓を建てる土地を購入…といっても支払うのは使用する権利、つまり永代使用料です。開眼供養に参列した時、その区画には叔母の建てた真新しいお墓だけがありました。

ところが叔母が亡くなってから再びその墓地を訪れると、墓石の数が増えていました。誰のお墓なのかを質問すると、叔母の弟である叔父のお墓だとわかりました。

叔父の死後、その息子である従弟は、自分の父親のお骨を叔母のお墓に入れてもらおうとしました。ところが叔母は頑なにそれを拒否。それで仕方なく同じ区画の中に自分の父親の墓石を建てさせてもらったそうです。

このスタイルを両家墓といいます。わかりやすく言えば、一軒分の借地に二軒の持ち家が並んで建っている状態です。

なぜ叔母が拒否したのかはわかりません。

思うに「自分が建てたお墓だし、兄弟たちには十分すぎることをしてあげた。せめてあの世に行ったら思う存分ひとりでのんびりしたい。」と思ったのでしょうか。

存命中はかわいそうなくらい、あの従弟たち家族にさんざんたかられていましたから。

いつの間にか契約者も変わっていた

このように最初に永代使用料を支払ったのは契約者である叔母です。これはお寺にも確認済みです。

ところがいつかは知りませんが、契約者は従弟に変わり、現在は彼が管理しています。契約者が従弟になったことで叔母の永代供養はできないとのこと。これもお寺で確認したことです。

年間管理料8000円も、叔母が存命中は叔母が払っていました。これを逆に言えば従弟は父親の墓がそこにあるにも関わらず、叔母が亡くなるまで管理費をずっと支払わずにきたのです。

従弟を祭祀承継者と指定したのは叔母ではありませんが、隣の墓に父親が入っているという関係で、従弟が主になり叔母の葬儀や法事などを執り行ってきました。

300万を要求した内訳がすごい!

最初に預かった300万で3回忌までの法要が終わっています。その残りもあるはずですが、その報告もしていません。

ところが従弟はさらに300万を要求しました。「17回忌までの14年間、叔母のために十分な供養をしてあげたい」と言うのです。

そのためにかかる必要経費の内訳を書面にして調停委員に提出しました。

  1. 法事1回につき食事代込みで25万×3回で750,000円
  2. お寺に支払う年間管理費8,000円×14年分で112,000円
  3. 墓参りの代行業者に支払う費用とお花代、月2回分(金額不明)
  4. お盆・正月・お彼岸などお寺との付き合いにかかる費用(金額不明)

「これらをざっと計算すると300万になる。それだけあれば十分な供養ができる。

だからその分を墓守代として残しておきたい」というのが相手の主張。

こちらの主張

「叔母のために十分な供養をしたい」と言えば聞こえはいいけど、叔母のためではない。どう考えたって自分のためです。

  1. 上記3と4には自分の父親の費用もちゃっかり上乗せしている
  2. 年間の管理費は、今まで叔母に払ってもらっていたので、これ以降は従弟が払えばいい
  3. お寺との付き合いは契約者である従弟とお寺との問題
  4. 「17回忌法要までやりたい」と言っているけど、すでに58歳(独身・子なし)になっている従弟が、それまでできる保証はない
  5. 他の従弟たちはもっと高齢者ばかり。それまで全員が元気でいる保証はない
  6. そのため今から何回忌までを予定しても意味がない
  7. よって法事をするなら参列する人たちが費用を均等に負担し、その範囲内で執り行えばいい

これがこちらの主張。

前回私たちが主張したのは「みんなが叔母さんからもらうのだから、法事の飲み食い代くらい、自分の分は自分で出すべき。ただしお寺に支払うお金は認める」というのも無視。「精進落としまで含めて法事だ」と主張します。

ハテ?このオヤジたったらむちゃくちゃなことを言いますわね。あんたの父親の法事の時、私は食事代を包んであなたに渡しましたよ。しかも墓参りの代行?遠くて行けないならともかく、お墓は自宅から歩いて行ける距離じゃないですか?代行業者に墓参りを頼むことがあなたの言う「十分な供養」なんですか?

もう、まさかのなにそれ。あんたらは舛添か?

調停委員は脅しをかけてきた

相続 祭祀承継

調停委員は内訳を書いた紙面を私たちに見せてこう言いました。

「相手方はみなさんこの意見に同意しています。もしあなたたちこれを受け入れずに拒否をすれば、次は審判に進みます」

姉たちは審判と聞いて動揺しましたが、私は速攻で「NOです。受け入れるつもりはありません」と答えました。だって法的にも道義的にも、相手が矛盾したことを言っているのですから。

すると今度は「お寺との付き合いには何かとお金がかかりますから」などと相手を擁護し、私を説得する言い方に変わりました。前回の調停では「それはちょっと高すぎる」と言っておきながら。

途中で気がついたのですが、調停委員もかなーり矛盾したことを言っています。

「審判になれば現行の法律どおりの決定ですよね?」と質問すると結果はわかっているのに「それはわかりません」ととぼける。

これまでのお墓の経緯を言えば「お寺の契約者なんて関係ない。今は相続の話をしている」と、こちらの意見を遮ろうとしてきます。

「黙っておとなしくみんなに同意しろ」ということでしょう。それならいいわよ、私だって負けてはいられません。反撃しますよ。

「関係ありますよ。これからお寺と付き合うのは契約者ですから。今はその話をしているんじゃないですか?
そもそも分離して考えるべき相続の話に、墓守の件を持ち込んだのはあちらですよ?

前回も書きましたが調停委員は「正しい、正しくない」は関係ないのです。早く終わらせたいだけ。だから審判に持ち込まれて困るのは、調停委員も同じです。

このような時、つい弱気になる人もいると思います。でもここで負けてはダメ。自分が正しいと思ったことを堂々と主張してください。

調停委員に怒涛の反撃

矛盾には有無を言わせない正論で応酬するのが吉と出ます。私はこう言いました。

「何をもって”供養”と言うのでしょう。

叔母さんのお金で形だけの供養するのが、果たして本当に供養だと言えるんですか?

供養というのは遺された者たちの気持ちでしょ?

だったら叔母さんのために、自分たちのお金でしてあげるのが本筋ではないですか?

それが仮に、たった1000円のランチだっていいわけです。

豪華な料理を食べれば供養になるというものではありません。

だって叔母さんは、みんなが自分を忘れずにいてくれること、自分のためにお墓詣りに集まってくれることを喜ぶはずです。

それなのに叔母さんのお金で他人に墓参りを代行させるだなんて、それで叔母さんが本当に喜んでくれるとでも思っているのでしょうか。ちょっと呆れてしまいます。

もし花が必要なら、庭できれいに咲いていた花を持って行ったっていいんです。叔母さんは自分のためにしてくれたというその手間の部分を喜ぶはずです」

ここで調停委員は私への説得を諦めました。気持ちの部分になると反論できなかったのでしょう。だって宗教上の考えは、なんびとたりとも強制できないものですから。

「一人でも同意が得られなければ、祭祀承継の件は相続から切り離します」と、調停員。

ったく、手間がかかるぜ…。最初からそれを言えっていうの。

まとめ

以上が昨日の調停の内容です。

冒頭で述べたように、今後の墓守をどうするかはまだ宙に浮いたままです。昨日は自分が正しいと思ったことをそのまま言いましたが、それが本当に正しいかどうかもわかりません。

でも供養に関しては、考え方があまりにもかけ離れすぎていることを実感しました。

お金をかけて形式だけを整えるのが供養だと言う従弟たち。気持ちでするのが供養だと思う私。「叔母さんだったらどうしてほしいか」をいちばんに考えながら自分の気持ちを伝えました。

ただどう考えても、私は従弟たちと同じ気持ちで供養はできません。それだけははっきりしました。

とはいえ、きれいごとではなく墓守にはお金がかかるのも事実です。地域の慣習や、お寺との付き合い方で維持管理にかかる金額には大きな開きがあることも承知しています。

ただ慣例を重んじる地方都市ならいざ知らず、横浜という大都市でその理屈が通るのか。しかも代々の墓ではなく、叔母一代のみの墓です。

しかも17回忌以降は何もしないつもりでいる…。ということは、遅かれ早かれ墓守をする人間がいなくなるということです。

これがもし、叔母さんだけのお墓だったらもう少し歩み寄れたと思います。

でも生きている時にさんざん世話になったというのに、亡くなってからもまだ、自分の親の供養まで叔母さんにさせようといている。これだけはどうしても受け入れられません。

次回の調停は7月の末を予定しています。梅雨が明けている頃ですね。早くスッキリすればいいな。

 

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