「ママブロガー界の炎上職人」こと辻希美さんが、また炎上しているとか。
ブログが炎上して、書いた本人が叩かれるのはしかたがない。でもそのとばっちりがお子さんに向かってしまうのは、他人事ながら心が痛みます。家族のことはネタにしやすいけど、同時に身を切る禁じ手にもなることを自覚してほしいものです。
ネタにされた家族は、自分が全世界に晒されることを望んでいるのでしょうか?
それは10年後、20年後にも「自分のことを書いてくれてありがとう」と言われるものでしょうか?
それらをじゅうぶん配慮し確認した上で書いてるのでしょうか?
辻さんだけでなく、私生活ただ漏れ系のブロガーは最近増えています。つい最近も主婦ブロガーが離婚を発表して盛大に炎上したのは記憶に新しいところ。
私生活を切り売りしてPVを稼ぐ。刺激的なことを書けばPVは増えるし話題にもなる。それで支持されるとかんちがいし、さらに赤裸々に書く。そして炎上。炎上の火の粉はネタにされた家族にも及びます。
誰得にもならないこの流れは、笑うに笑えない非喜劇としか言いようがなく、承認欲求のお化けとなった人に哀れみを感じます。同時に、すごくカッコ悪いとも思います。
このような炎上案件に触れるたび、いつも頭をよぎるのは、「十億アクセスの彼方に」という物語。まだ読んでない方、特に子育て世代のブロガーさんには、ぜひ読んでほしいと思う物語です。
同時にこれは、家庭を持ちながらブログを続けている私が意識している物語でもあります。
「十億アクセスの彼方に」の内容
2004.11.25の「Dad’s blog」「Mam’s Blog」から順番に読み進めていけば家族の歴史がわかります。
ストーリー
それぞれにブログを持つカップルの入籍からスタート。夫婦は「お互いのブログを見ない・トラックバックをしない」というルールを定め、結婚後もそれぞれのブログを続けます。
やがて夫婦には待望の娘・みずきが誕生します。それ以来、顔写真・実名入りで父親・母親それぞれが娘の成長をブログに綴り続けます。
月日は流れ、みずきも11才に成長。友達の影響でブログを始めます。といっても最初は親の監視つき。親は定期的に娘のブログをチェックしていましたが、しばらくしてから「もう大丈夫」と判断。家族のルールに則り、以後娘のブログチェックを止めてしまいます。
「いじめられっ子ブログ」スタート
親のチェックがなくなり、やっと本音が綴れるようになったみずき。最初に取り掛かったのはブログのデザインをおどろおどろしく一新したこと。このデザインはみずきの内面そのものです。
以降みずきは堰を切ったようにこれまで味わった苦しみを全て綴ります。
幼稚園から始まったイジメ。小学校でも壮絶なイジメはずっと続きます。「地元はダメ」と判断し、知り合いがいない、遠くの中学に行きたいと考えるようになり、中学受験を決意します。
何も知らない(知ろうともしない)両親は、中学受験に向けて懸命に勉強に励む娘を単純に喜び、その様子をブログに綴ります。ブロク上ではどこまでも「幸せ家族」そのもの。
努力の甲斐あって無事志望校に合格。しかしイジメは一向になくなりません。ここでみずきはようやく「ブログに原因がある」と考えます。家族の禁を破り、今まで一度も目にしたことがない両親のブログを初めて読み、愕然し、全てを理解し、絶望します。
以下はみずきのブログ・「いじめられっ子ブログ」2019年4月5日からの引用。
自分のプライバシーは全世界にただ漏れ。
アクセス数ほしさにこれまでの性体験をどんどん書きつづったりしていて、なんだか、両親への尊敬の思いがいっぺんに消えてしまった気がした。わたしが産まれた後も、浮気や離婚の危機を事細かに書いたりしている。これが同級生の親のブログだったら、わたしだってその子をからかいたくなるだろう。毎日、数万数十万という人々が、わたしたちの生活をのぞき見しているのだ。まるで、コンビニに立ち寄り雑誌を立ち読みするかのように、父親の過去の不倫を、母親の若い頃の性生活を、わたしの初恋の相手のことを、見ているのだ。
〜中略〜
もう、どこへも逃げられない。
たとえ、この世の外に逃げたところで、わたしの両親は、それすらもブログの材料にしてしまうだろう。そして、世界中に散在するわたしたちのブログを知る人たちが、悲しみのコメントやトラックバックを寄せるのだろう。もう、どこへも逃げられない。
親はブロクで取り繕うことしか頭にない
その頃父親は、「お陰様で十億アクセスを達成しました。これもひとえに皆様のおかげです。これからもよろしくお願いします」と更新。母親は母親で「みずき。あなたの存在がわたしとわたしの主人のすべて」と、良き親・幸せ家族としてのポーズを保ちながらブログを更新します。
全世界がみずきの絶望を知っているというのに、一番近くにいる親だけが知らない。承認欲求に駆られた醜い姿を全世界に晒している自覚もなく、何の罪もない我が子がその犠牲になってしまう恐ろしい物語。ブログ依存症になると正常な判断ができなくなるのでしょうか。
「十億アクセスの彼方に」は今を予言していた
初めて「十億アクセスの彼方に」を読んだのは、2005年頃。当時私は他の場所でブログをやっていました。ブログといっても日記代わりのまったりとしたもので、他愛もないことをツラツラと書いてました。
周りの人たちも全くガツガツしてなくて、「毒にも薬にもならない」と言ってしまえばそれまでですが、ごくあたりまえの常識とバランス感覚を持ち合わせていて、「ブレることのない生活を送りながら、その傍らにブログがある」というスタンスを保っている人ばかりでした。
間違っても「ブログが人生の全て」という、偏狂的で盲目的な人たちではありませんでした。私の周りがたまたまそうだったから、最初に読んだ時は「かなり誇張しているな」という印象を受けたものです。
でもそれ以降、「自称・プロブロガー」、「インフルエンサー」、「顔出し・実名ブロガー」、意味不明な「子宮系」などの登場により、ブログ界隈も大きく変化。架空の物語だったはずの「十億アクセスの彼方に」を地でいくような人たちを目の当たりにすると、いつも思います。「あれは架空ではなく、今を予言するものだった」と。
ここまで極端ではないにしろ、少し前に話題になった「友達がブログが理由で離婚しそう」みたいなブロガーさんは、わりと多いのではないでしょうか。またこれは一部のインフルエンサーだけの話ではありません。最近の風潮かどうかはわかりませんが、ブログやSNS上で幸せな家庭を演出しながら、実は問題だらけ。子供は親の所有物じゃない。子どもはじきに大人になるし、別人格であることを忘れてる。——と、つい思ってしまうような、そんな無防備極まりないアカウントを、これまで数多く見てきました。
取り返しのつかない失敗は絶対にある
それでも、無駄にポジティブな彼らは、口を揃えてよくこう言います。「失敗を恐れるな。人生に失敗はつきものだ。失敗したら、何度でもやり直せばいい」と。
でも違います。やり直しのきく失敗と、取り返しのつかない失敗が世の中にはあります。
彼らは「ブログで人生が変わる」とも言います。
でも正しくは「悪く変わる可能性」もブログにはあります。そのあたりをよーく理解しておかないと、デジタルタトゥーによって人生を棒にふる可能性もあります。
以上、これはブログを書いている自戒も込めてのエントリーです。今後も引き続き「ガラス張りの中にいる公の自分」を忘れず、それでも自分らしい文章を書き続けていきたいと思っています。
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