「キレる老人」が増えているという話題は、よく耳にしてました。でも話に聞くのと実際に自分が体験するのとでは大違い。
昨日、いきなり年寄り集団にブチギレされました。「百聞は一見にしかず」と言うけど、集団の破壊力は半端じゃないですね。
いったい何が怒りのツボだったのか?
一夜明けた今も、なぜあんなに怒り狂ったのかが全くわかりません。次項で経緯をご説明します。
ブチギレに至る経緯
ネオテニスという、高齢者でも気軽に楽しめる競技があります。バドミントンコートを使い、バドミントンラケットで直径8センチのスポンジボールを打ち合う、テニスのようなもの。
テニスやバドミントンに比べると、動きがそれほどハードでないことから、その経験者が年齢的にキツくなると、ネオテニスに転向する人も多いです。
ネオテニスVSバドミントン
昨日はバドミントンの練習日でした。
隣のコートはそのネオテニスのグループ。互いに決まった週の決まった時間にコートを取るので、ほぼ毎週顔を合わせてます。が、そのグールプが私たちの悩みのタネ。
インプレー中、隣のコートからネオのボールが転がってくる頻度が半端じゃない。1回2回くらいならまだ我慢できるけど、「えー、また?」と言いたくなるくらいの増えっぷり。
ここ最近は特にひどいです。多分、腕の未熟な新しい人が入ったことと、古株の人たちの高齢化が原因だと思われます。
ボールが入ってきた瞬間レットにしますが、いいラリーが続いているような時で、特に攻撃のチャンス!なんて時はもうがっくりです。
マナーもへったくれもあったもんじゃない
ボールの件以外でも、マナーが最悪。タバコを吸いに行くんだかなんだか知らないけど、やたら出たり入ったりする。で、コートの後ろを通る時、こちらのコート内に足を踏み入れて平気で横切ります。昨日もそれで一度、ラリーが中断しました。公式戦でこんなことしたら、もう大変ですよ?
バドミントン経験者ならその危険性を十分理解してるから、後ろを通り過ぎる時もラリーに支障がないように気を使って横切りますが、全くお構いなしの人なので、仲間の一人が「おじさん、後ろ歩くとき、気をつけてね」と注意しました。──後から考えれば、これも気に入らなかったのでしょう。
また自分でミスったボールでも、こちらに拾わせるのが当たり前だと思ってる。さっさと拾えばいいのに、「すみませーん」と言って、こちらが拾うのを待っている。
これだってバドミントンではありえないこと。自分でミスったシャトルは自分で拾いにいくのが常識ですから。それにそもそも、私たちはこの人たちの球拾いじゃない。
以上の理由から、こちらの不満も次第に募っていきました。
防球フェンスの設置を頼んだら…
そんな中、転がってきたボールが原因で、こちらのコートにいた人が転倒しました。
前に落とされたシャトルを取りに行こうと足を大きく踏み出した瞬間、その近くにボールが転がってきました。避けようとしたけど避けきれず、バランスを崩して転倒。軽い打撲で済みましたが、本当にコレ、一歩間違えれば大怪我をしてたかも…です。
そこで、何かあってからでは遅いので、相手のグループにこう言いました。
キレる高齢者の実態を見た!
するとなぜかブチギレ。
- 「転んだのは自分の不注意だろう!」
- 「なんでこっちが(フェンスを)出さなきゃならないんだ!」
- 「後から来た方が出せばいいだろ!
- 「怪我したくなければ自分で気をつけろ」などなど。
ひとつひとつの言い分に対し、きちんと答えましたよ。
転がる性質がある、ボールを使う競技をしている側が出すのが筋だろう、と。卓球をやってる人たちは必ず出してる、とも言いました。
防球フェンスの設置を面倒だと思うなら、こちらのコートにボールを入れようなミスショットを出すな、とも言いました。
もし出したなら、球がこちらのコートに入って来る前に、全力疾走で球を追いかけて阻止しろ、とも言いました。足元がヨタついているのを承知の上で。口じゃ勝ったぜ、ベイビーってな。
キレるだけでなく、意地悪だった
するとブツブツ言いながら仕方なくフェンスを設置してました。が、腹の虫が収まらなかったのか、それ以降こちらに聞こえるように、ずっと文句を言い続けてました。
でもそんなのはガン無視。
するとさらに頭に血が登ったのか、今度は受付にクレームを言いに行きました。が、受付でも「転がるボールを使う側が設置するものですよ」と軽くあしらわれ、振り上げた拳のやり場に困ったそのジジババたち、次はどうしたと思います?
なんと自分たちの練習時間終わって体育室を出るとき、電気を消してったんですよ、信じられます?
こちらがまだラリーの最中であることも承知の上。突然真っ暗になって、いったい何が起こったのか、にわかに理解できませんでした。これは明らかに腹いせのための嫌がらせです。「あーら、間違えちゃった」とニヤニヤしながら出ていくジジババたち。
さすがにまずいと思ったのか、お仲間の一人が慌てて「本当にごめんなさい」と謝りにきました。
結局は仲間内でもお荷物だった
そこでこう告げました。「あれほど腕が未熟なら、人様に迷惑をかけなくて済むように、端っこのコートでやらせれば?」と。
すると、「ずっとやってきてた人たちだから、私たちも言えないんですぅ」だって。
つまり仲間内でもお荷物になってるってわけだ。それでいて「ずっとやってきた」ことだけを心の拠り所にして、自分の衰えを認めようとしない、典型的老害ってわけだ。
これが昨日あったことの全てです。さて次からが私の考察です。こんな年のとり方はしたくない
もし私なら?と思うと、私ならそう思われる前に、潔く去るな。それか、その場に残りたいならもっと謙虚に振る舞うな。その頃にはどうなってるかわからないけど、少なくともそうありたいと願うわ。だってみっともないもの。
そしてこうも考えました。「この人たちは、こんな年のとり方をしたいと願ってこうなったのだろうか?」ってね。答えはNOだろう。若い頃には私と同じように、傍若無人な老人を見て、こうはなりたくないと思ったはず。
ではなぜそうなるのだろう?
年を取ると、元の性格がより顕著になる
前頭葉の萎縮といった小難しい医学的なことはさておき、年を取れば、誰だっていろんなところが萎縮します。だからあんな高齢者がいるわけだけど、その一方で穏やかに、ゆったりと暮らす高齢者もいるわけです。その違いはなんだろうと考えました。
「ローマは一日にしてならず」と言うけど、その萌芽は元からあったもの。
今、目の前に表れている現象は、長年にわたり培われてきたものです。つまり、その人本来が持ち合わせていた性格に他ならないってこと。
社会生活を営んでいた頃は、それなりの自制心が働いて、黒い部分は封じ込めてきたはず。
でも生活や環境の変化で心の鷹が外れると「オレ様ルール」の世界だけで生きてしまう、生きられてしまう。やがて封じ込めてきた元の性格が露わになる…とまぁこんなところかと。だからこそ、社会との接点を持ち続けることはたいせつだと感じました。
最後に
今は働き方も多様化して、定職に就かなくてもそれなりに銭稼ぎができてしまう時代。早々と人生の楽園を目指して、移住して悠々自適をアピールする若い世代もいるようです。
でもその人たちの未来に待ち受けているものは、昨日見た、70オーバーのキレる高齢者が若年化するだけの姿かな、なんて思ったわけです。クワバラ、クワバラ。
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