Violet@Tokyo

27歳、ホリーの手紙から学ぶなんともない一日を、なんともなく生きる幸せ

約5分



なんともない一日を、なんともなく生きること。

それは、実はとっても大変なことで、けしてあたりまえではなくて、とても幸せなこと。

その原点を改めて思い出せてくれたのが「27歳の女性が亡くなる前に残した、すべての人が読むべき手紙」です。
ホリーが人生の最後に願ったのはたったこれだけです。

私の願いは、もう一度だけ家族と誕生日を過ごしたい
もう一度だけクリスマスを迎えたい
もう一度だけパートナーと過ごしたい
それだけです。
たったもう一度だけでいいから。

はるか遠くの未来より、目の前の一日がだいじ


「人間の仕事はいずれAIに奪われる」、「2025年問題の財政危機」などなど、政府がどうの、誰がどうのと語気荒くネットで批判している意識だけは高い輩たち。つまりは不安と恐怖心の塊の輩たち。それを真に受けて、30にも40にもなって自分探ししている輩たち。

そんな人を見ると、クリスチャンじゃない私でも聖書の一節を思い出します。

「明日のことを思ひ煩ふな、明日は明日みづから思ひ煩はん。一日の苦勞は一日にて足れり」

「あたりまえ」の大切さに目を向けよう

元来私は物事を計画的に運ぶのが好きなので、以前はよく何歳までに家を建てて、何歳までにローンを返済して、何歳までにいくら貯めて、車の買い替えはいつで…なんて、将来を精密にシュミレーションをしてはワクワクしたものです。

でもある時から、考え方が少しずつ変わっていきました。

今はどちらかというと、明日のことなんてどうなるか本当にわからない、人の道はどこにどうつながっているか、まったくわからないと思っています。

これは投げやりでもなんでもなく、今まで生きてきた中での学びです。

外界がどんなに正常で平和で何事も起こっていなくても、ふつうに暮らせないことがあることを、イヤってほど知ったからかな?

それは「できなくなる」というより、「ある日突然奪われる」ような感覚に近いからこそ、「今、私はここで、こうしていつもどおりの生活をしているなら、それだけで素晴らしいことじゃないか」と思えるようになったのです。

私だけじゃない、誰でもそれは同じです。

「今晩のおかずは何にしよう」とか、「もう、うちのバカ息子は〜」なんて言いながらも、こうやってふつうに一日を送れているなら、それはとてつもなく貴重な一日。

だからこそ、そんな貴重な一日を、はるか遠くの起こるかどうかもわからないような心配事に費やすのは、とてももったいないと思うのです。

ホリーの手紙にあるように、今抱えているだいたいの悩みなんて、人生の最後になってみれば「些細で意味のないようなこと」でしかないのだから。

生きてさえいればなんとかなる

いや人生の最後にならなくても、過去日記なんか読んでみればよーくわかりますよ。「あのときこんなことで悩んでいたんだな」とは思うけど、通り過ぎてみれば「だからなんだ」って思えるようなことばかり。真摯に生きてさえいれば、たいていなんとかなることばかりです。

必ずしも計画どおりでなくても、多少の誤差はあっても、あとになってみればなんてことはない。「アレ?意外と私、自分が望んだように生きてるな」と感じるわけです。意外とそんなものですよ。

だから不安を煽るような言葉に踊らされてはダメ。

今、なにができるかがだいじ

どんなにまだ見ぬ将来を心配したところで、人間ができることって目の前に転がり込んできたことだけだと思ってます。ていうか、少なくとも私はそうです。目の前に転がり込んできたことさえできないことも多いし。

例えが突飛すぎるかもしれないけど、もしも……。どこかの被災地の人たちを助けるためのボランティアを乗せる船が、あと10分で出発するとしよう。それが最後の船で、私は医者だとしよう。

私は船に乗り込むために必死に走っていた。

すると、目の前でお年寄りが転んでうめき声をあげて倒れた。

どうする?

何万人もの人を救うために、そのまま走る?

私の代わりになる人なんていくらでもいるよね。

でも、目の前で転んで怪我しているお年寄りには私しかいないんだよね。

そしたら、私はそのお年寄りを抱えて近くの病院に行って手当てを受けさせて、そのお年寄りの身うちの人に連絡取って……って、するよね。

つまり私がするべきことは何万人を助けることではなくて、目の前の一人を助けることだってわけさ。

なんか物事ってそういうもんじゃないかと思う。

まず自分!

そして次に家族。

さらに余裕があれば、目の前の半径数メートル以内の人たち。

それくらいだと思う、それが自然だと思う。

それをエゴだと思う?

いいえ、私はそうとは思わない。

自分や身近にいるたいせつな人もだいじにできないような人が、目の前の人を平気で見捨てるような人が、何万人もの人を救うなんてできるわけがない。能力以上のことを抱え込んでアップアップして、一つ一つがおろそかになるなら、目の前の確実に救える命に向き合うよ。

と考えれば、日々の暮らしも同様。

まずは「目の前の一日」と「今、自分に何ができるか?」と「今、何をすべきか?」

それだけで十分じゃない?

そんな瞬間・瞬間の積み重ねが、悔いのない人生の土台になっていくんじゃない?

そう思うようになって以来、余計なストレスから開放されて、将来の不安を煽るような言葉にも動じなくなったように思います。以上。

 

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このブログは私が日々感じたこと、考えたことに独自の視点を交えて書き留めている忘備録です。読者の方に少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
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