Violet@Tokyo

強すぎる仲間意識がウザい理由

約 4 分



ふだん何気なく使っている言葉「仲間」について、思うことを書いていきます。

「仲間は必要か」と問われればYESと答えます。でも何かにつけて「私たち、仲間だよね」と、やたらに仲間意識を強調されるとむず痒くなる私がいます。ごく控えめに言ってウザい。

その理由はなんだろうと考えてみました。

仲間意識はいいことばかりではない


多くの人は「仲間を大切に」という教えを子供の頃からいたる場所で受けてきたと思います。だからこそ、仲間を増やすことが人生を充実させると信じて仲間づくりに積極的に取り組む人は多いです。

しかしその一方で、仲間意識があるから仲間はずれが生まれ、仲間意識があるから作る必要のない敵が生まれてしまう現実もあります。つい先日も「仲間だから」という理由で、つく必要のない嘘をついて仲間をかばっている人を見かけました。

そんなとき、よく思います。「仲間だから」という理由でおかしいものを「おかしい」と言えない関係でも、彼ら彼女たちにとっては「すばらしい仲間」なのでしょうか?

「仲間を大切に」という(その人にとっての)善行は、嘘をついたり仲間はずれを作ったり敵を作るような(世間一般で言うところの)悪行にも勝るのか、免罪符になるのかと、釈然としない違和感を覚えるのです。つくづく、「仲間」というのは状況次第で都合の良いキーワードですわね。

枠からはみ出す仲間意識が面倒な人間関係を生む

仲間はあらゆる場所で作れます。その枠内に収まった関係ならトラブルは少ないのですが、本来の目的からはみ出すと、面倒な人間関係のトラブルが生まれやすくなります。

趣味仲間を例にしますと、同じ趣味を持つもの同士が決まった時間・決まった場所に出かけて、その趣味をやるためだけに集まるなら、それは単純な趣味仲間。

目的が趣味という枠内に収まっているので和気あいあいと趣味を楽しみ、終わればさっさと帰ることができます。

でもそれ以上に親しくなろうとして無駄な仲間意識が芽生えると、趣味の時間が終わっても長々とおしゃべりが続いたり、お茶会、ランチ会などのお付き合いなどが始まります。すると趣味の枠からはみ出して、交流そのものが目的になります。

それを望んでいる人にはいいのですが、その場限定の割り切った付き合いにとどめたい人には窮屈です。

するとどうしても付き合いがいい人と悪い人とにわかれます。

やがて派閥のようなものができあがり、いない人の悪口大会が始まり、趣味以外の過干渉から人格否定に発展し、共通の敵を作ることで仲間意識を強めようとする動きが生まれ…。

もうこうなると、純粋にその趣味を楽む目的だったはずの「趣味仲間」の枠を大幅に超えてます。

馴れ合ってないでその枠内限定の付き合いに留めていれば、面倒なトラブルは少ないのですが、こればかりは人それぞれ。どんな仲間を求めるかは各自の価値観によって違いがあります。

強すぎる仲間意識を求める人

私個人は「来るもの拒まず・さる者追わず」という、その場限定のあっさりした付き合いが気楽でいいけど、人によってはそれ以上の、もっと強いつながりを求めてべったりとした関係を望むようです。

そうすることで自分の立場を確保できたと思っているのでしょう。でも信頼は確保できてないという不安がついて回るから、常に行動を共にするという脆い関係。と、ここまで書いて、私の違和感の正体は、ここかもしれないと今、思いました。

「オレたち、仲間だよな?」「私達、仲間でしょ?」という言葉を聞くたびに、「仲間って、いちいち確認しあわなきゃいけないもの?」と思ってました。

仲間意識は自分が自然と抱くもので相手に確認したり押しつけたりするものではありません。でも彼ら・彼女たちは不安だからいちいち確認するのです。

だとしたら、これこそ無駄な仲間意識だなと。私は、自分に合った適度な距離感を保てる仲間は必要だけど、依存しあうだけの仲間は不要だなと。あらためてそんな風に感じました。以上です。

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このブログは私が日々感じたこと、考えたことに独自の視点を交えて書き留めている忘備録です。読者の方に少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
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