幸せな人生を語る時に必ず出てくるお金の話。巷にはたくさんの幸福論が溢れています。
その中にはかなりの確率で「お金」というキーワードがセット使われています。
私も若い頃は「お金持ちは幸せ」だと、なんの根拠もなくイメージだけでそう考えていました。
お金があれば、かっこいい車がポンと買える。
旅行だって世界中あちこち好きに行ける。
洋服だって、アクセサリーだって、なんだって買える。
20代の頃なんて、もう物欲の権化。
物欲が服を着て歩いているようなものですから、口さえ開けばいつもこう言ってました。
「あ〜、お金が欲しい〜」
お金があってもたった一人の愛さえ得られなかった人
そんな時に出会った一人の女性。
その方こそが、「お金持ちは幸せ」だと思い込んでいた私の意識を大きく変えてくれた最初の女性です。仮に山田さんとしておきましょう。
山田さんと知り合ってから、私の中で少しずつ「お金持ちは幸せ」という意識が変わっていきました。
「お金持ちだからといって、必ずしも幸せとは言えないぞ…」
当時私より10歳くらい年上だった山田さんは、二人の子育てに追われる専業主婦。
いつも最先端のファッションに身を包み、彼女の周りには自然と裕福でおしゃれな主婦たちが集まってきていました。
その中でも山田さんはダントツに光って見えました。
日の当たる人生を歩んできた憧れの女性
とある地方都市の名家のお嬢様。ご主人はハンサムな歯科医。
「生まれながらに光の当たる道を歩く人って、こういう人なんだ」と、若かりし頃の私は、憧れの目で彼女を見つめました。
なぜか年も立場も違う私のことを、山田さんはとても可愛いがってくれました。
明るい笑顔の下に隠された深い闇
付き合いが深まる中で、少しずつ知った山田さんのとてつもなく深い闇、それはご主人の浮気。
「せめてわからないように浮気すればまだ救いがあるのに、当てつけのように堂々と浮気をするの…」
彼女の心はズタズタ。ある日突然山田さんは、私の前から姿を消しました。
半年ぶりの再会と驚きの事実
半年が過ぎようとしたある日、山田さんは人懐こい笑顔でひょっこりと私に会いにきてくれました。
少しやつれたようにも見えましたが、いつもと変わらないオーラはそのまま。聞きたいことはたくさんあったけど、触れてはいけない気がして言葉を選んでいた私。
そんな気持ちを察知してか、山田さんの方から口を開きました。
勝手に離婚届けを出されたこと。
ショックと怒りと屈辱で、精神のバランスを崩して自殺未遂したこと。
気持ちが落ち着くまで、子どもたちと離れて入院生活をしていたこと。
当時、未婚だった私には複雑な夫婦関係など想像できないことばかりでした。
「お金持ちは幸せだ」と似たような、漠然としたイメージのみで「結婚すれば幸せになれる」くらいに考えていましたから、浮気だ離婚だ自殺未遂だなんて、映画やドラマの話だと思っていました。
何をどう答えていいのかもわからず、ただ黙って山田さんの話を聞いていました。
淡々と語る彼女の口調は、とても落ち着いていました。彼女なりに吹っ切れたから私に会いに来てくれたのでしょう。
山田さんとの出会いにより、「幸せな人生とお金は、必ずしもイコールではない」と、私の中の意識がほんの少しだけ変わっていきました。
それから数年後に私は結婚。同時に今の家を購入しました。
そこで出会ったのが同じ分譲地に住む川田さん(仮名)。川田さんとの交流により、再びお金と人生の幸せについて考えるようになりました。
使いきれないお金があるのに自由にお金を使えない人
川田さんのご主人は会社経営をしており、一区画7000万もするような土地を二区画もポンと購入するほどの羽振りの良さ。
他にもいくつかの不動産を所有しており、ローンを抱える私は、単純に「お金持ちでいいな」なんて思っていました。
そんなある日のこと。
「しまった、お金がない!銀行行っておろさなきゃ」
買い物に行く途中、そう言った私に川田さんはこう言いました。
「あなたは自由に生活費が使えていいわね」
社長の奥様が私をうらやましいだなんて、最初は冗談かと思いました。
でも冗談ではなかったのです。
キャッシュカードを奥さんには使わせないご主人。日々の生活費だってギリギリの金額だけを毎朝手渡しするそうです。
だから予定にはない出費、例えば年末など、いつもなら月末に来る新聞代の集金が、いつもより早く来るという事態になると困っちゃう、なんてよくこぼしていました。
その後川田さんは白血病にかかり、若くしてこの世を去りました。
今の私が考える幸せとお金の関係
山田さんと川田さん、この二人は一見すれば何不自由のない「幸せ奥様」です。歯科医と会社経営者なんて、玉の輿希望の未婚女性なら憧れるでしょうねぇ。
でも私は嫌ですよ。
どんなにお金があったとしても、たった一人の女性すら幸せにできないような男なんて、願い下げだわ。
私が考える幸せの原点
幸せは何ぞやという話になると、まことしやかに「お金と健康と気心知れた仲間がいれば幸せに暮らせる」みたいなことを耳にするけど、肝心要の原点を忘れているような気がします。
それは、なんともない一日をなんともなく生きること。
ただ穏やかに、なんともないことに幸せを感じて生きること。
それだけでいいんじゃないのかって思います。
もちろん明日の米も買えないような貧乏はいやだけど、大金を手にしたからといって、必ずしも幸せとは言えない人がたくさんいるのはまぎれもない事実なんです。
私の叔母だって一代で財をなしたけど、そのほとんどを自分では使いきれずにこの世を去り、その遺産を巡って、ただいますったもんだの真っ最中なんですから。
確かにお金があれば何でも買えます。でもそれは物欲を満たすにしか過ぎません。
欲というのはキリがないわけで、達成感なんてほんの一瞬のこと。次の瞬間にはまた別の欲が頭をもたげてきます。
つきつめれば物欲というのは自己満足にしかすぎず、それがイコール幸せってわけではないのです。
お金の不安で取り越し苦労をするなんてつまらない
最近では年金問題や老後破産など、必要以上に不安をあおるニュースがたくさん巷に溢れています。
「老後に必要なお金は1億以上」なんて聞いちゃうと、今、目の前にあるなんともない幸せを感じるゆとりすらなくなり、はるか先の未来を憂いてはため息をつきたくなりますが、それこそが究極の無駄ってものです。
だってこの三次元の世に生きている限り、人は今しか生きられないのですから。この今だけ。
一秒前にも後にも移動はできない。
そう考えたら、「今こうやって暮らしている。今はこれしかできない。今、幸せだと思えるなら、それだけでいいんだな」と思ったのです。
うまく書けないけど、「今」しか生きられないということは、どうしなきゃこうしなきゃという取り越し苦労はいらないのかなって。
「今」何ができるか、「今」どうしたいかだけでいいんだと。
そう考えれば、もっともっとシンプルに「今」の幸せを感じられるはず。
「今」だけ必要なお金が手元にちゃんとあれば、それで十分じゃない?なんて思うわけです。
計画性なんて必要がないというのではありません。今の瞬間瞬間に、できる限りのベストを尽くせば、人はそう簡単に悪い方向には進まないものだってこと。それが自信というものです。
お金があるから、子どもがいるからといった”何かを所有していること”を幸せの基準に結び付けるのではなく、そんな陳腐なものに惑わされるのではなく、瞬間瞬間に感じる幸せの積み重ねがたいせつなんです。
どうなるかもわからない、はるか先のことを今から考えても、どうなるものでもありません。緻密な計算をしたところで、その通りにはならないのも人生です。
はるか先の未来は、今、この瞬間の積み重ねに過ぎません。
それなら今すべきこと、今しかできないことに目を向けていった方が、人生ははるかに楽しいです。
これは今まで生きてきた積み重ねの中で、そしてたくさんの人との出会いを通して私なりに得た結論です。
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