Violet@Tokyo

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若き老害は三度の飯より人生論がお好き

約 4 分

老害は年寄りだけの特権かと思ったけど、最近は2〜30代でも「老害」と呼ばれる人種が増えているそうな。では、どんな人が若き老害になのでしょう?

それは、まだまだ尻が青い分際で、聞きかじりの名言を織り交ぜ、ドヤ顔で人生論を語りたがる人。意識高い系の構ってちゃんに多いです。

やがて数年後には「若き」が取れて正真正銘の「老害」になること請け合い。

そういう場面に出くわすと、「悟りきった顔をして人生論を語るなんぞ、100万年早い!この鼻タレが!!」と言いたくなるのです。同時に母の言葉を思い出します。

人生論を語れるのは折り返し点を過ぎてから

これは母が60才を過ぎた時の言葉です

母の人生論

人生というのは、60年以上生きて”人生”と呼べることを、今、初めて知った。
人生は後ろを振り返ると、後悔がゴロンゴロンと転がっている。
若いうちは、そのひとつひとつを拾ってやり直す時間がある。
けれど、ここまで生きてきちまったら、ゴロンゴロン転がっている後悔が、私の人生を織り成しているのだと、ある日思った。

この言葉を聞いたとき、私はまだ20代。ピンとこなくて「ふ~ん」と聞き流していました。後悔してもやり直す時間はいくらもあるし、自分の未来はどこまでも続いているように感じていたからです。

それから時が流れた今、その言葉の意味が少しずつわかるようになりました。

人生論が好きな若き老害へ

だからこそ、したり顔で新入社員に説教している若き老害を見ると、入学したての小学生を見ている気分になります。

覚えたばかりの難しい言葉・大人ぶった言葉(本人にとっての難しい言葉・実は誰でも知っている言葉)を、得意顔で連呼する小学生っているでしょ?あれに見えるんですよ。

聞いている方がこっ恥ずかしくなっちゃう。

そんな場面に遭遇すると、いつもこう思います。

人生は語るものではない

ただコツコツやっていって、そしたら、いつかその結果を見て人生の意味がわかる。

そうなると「そんなこんなも、歳月が経つと、だからなんなんだって話だ」と思えるようになります。そこでやっと「日々生きてきた、この積み重ねが私の現実」だとわかってきます。

そうなって初めてその現実と折り合いをつける知恵も生まれてきます。その知恵が生まれるのは60過ぎてからだと、母は言いたかっのだと思います。

自分の経験だけが全てとは思うな

自分の二次元的平面なものの見方や考え方で、すべてわかっている気になるなよ!

本当に経験を重ねていくと、自分の経験でしか語れない部分はあるとわかる。と同時に、それだけが全てではないこともわかってきます。

はるか遠くを見るのでなく、目の前のいち日を粛々と生きろ

遠くなんて、今見ているつもりの遠くは、実はただ自分の頭で造ったもので、本当に起きることは意外と少ない。

人生に「もしも」はありません。「もしも」を考えるなら、今を生きろ。
先回りして最悪を考えていても、案外なんとかなったりすることがほとんどです。

最後に

生き方を真剣に考えて模索するのはとてもステキなこと。

けれど誰かの受け売りにとらわれ変な洗脳を受けてしまうと、頭でっかちになり、バランスが取れなくなって足元がおぼつかない状態になります。

もしそのような人に「オレ(私)の頃は」と過去の武勇伝や苦労話を語られたら、速攻でスルーしましょう。過去に生きる人の昔話なんぞ、聞くだけ時間の無駄です。

今回は以上です。

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(最終更新:2017/08/23)