Violet@Tokyo

「日本の一人でいると異常者論は本当に異常」やたらレッテルを張る人ほど実は可哀想な人

約4分



こんなツイートが話題を集めています。

上記のツイートは「一人旅」に対する周囲の偏見を憂いたものです。

一人で旅行しようが、友達と旅行しようが個人の自由であるはずなのに、レッテルを張りたがる人は往々にして「自分の常識」とは違う「他人の常識」を認めようとしません。

こんな人はどこにでもゴロゴロいます。私も瞬時に数人頭に浮かびます。

例えば子供がいない夫婦=「さびしいわね」

専業主婦=「暇を持て余している」「(イヤミたっぷりに)優雅でいいわね」

これが一晩じっくり考えれば、その人数はもっと増えるでしょう(笑)

ここでは表面ツラだけを見て、短絡的にレッテルを張りたがる人について考えてみます。

レッテルを張りたがる人の特徴

「右に倣え」、あるいは「長いものに巻かれろ」が座右の銘。多数意見が正義と信じているので、周囲に同調ばかりします。

一番怖いのは「村八分」なので、意見ひとつ言うにも人の顔色ばかり伺い、自分の意見を出すのは決まって後出しじゃんけん。

そうしていれば、その場のコミニュティから浮くことはないと固く信じています。

すでに誰かが言った意見を、まるで自分の意見のようにドヤ顔で語るのもこんなタイプ。

自分の決断に自信が持てないから、他人の決断のヤドカリをするのです。

人と違う行動をする人を許せないのはこのようなタイプです。

次項では、なぜ許せないのか、その理由について考えてみます。

自由と引きかえに不自由な安心感を求めている

「日本の一人でいると異常者論は本当に異常」やたらレッテルを張る人ほど実は可哀想な人

自分の意思を押し殺すのは日常茶飯事ですが、実はそれがストレスの元になっています。

人間誰しもああしたい、こうしたいという希望があってあたりまえ。

「人になんて言われようと、私はこの希望を叶えてみせる!」

自立した人はこのように考えます。

ところがレッテルを張りたがる人は、ストレートに希望に向かって歩むことができません。

「こんなことをした結果、誰かに何かを言われたらどうしよう…」

行動を起こす前にこのような意識が働き、希望に向かう気持ちにブレーキをかけてしまうのです。

自分が人にそうするから、人からも同じことをされると思い込むあまり、やる前から失敗した時のいいわけを探しながら行動します。

仮にブレーキを外して発進し始めたとしても、おかっなびっくり。一人では怖くて、それ以上前に進めないのです。

だから一緒にやってくれる人を探すのですが、もしつきあってくれる人がないければかんたんに諦めてしまいます。このように誰かが一緒という安心感と引き換えに、勇気と自由を手放すのです。

「かわいそう」という言葉を使うことで自分の優位性を示している

「日本の一人でいると異常者論は本当に異常」やたらレッテルを張る人ほど実は可哀想な人

行動範囲だってタカが知れています。ごく狭い世界で仕入れた情報だけが全てだから、自分の尺度や数少ない経験だけで物事を短絡的に決めつけます。

例えば一人旅なら古い演歌にありがちな「失恋」のイメージだけが先行し「可哀想」ってことになる。

今の時代、女性の一人旅なんてザラにあるのに、思考は古い時代のまま全くそこから進んでいないし、とても今の時代に追いつけそうもないから無理やりどこかで自分を納得させようとします。

「一緒に旅行できる相手がいる私は、一人旅をするあの人より上」と思い込むことで、必死に自分を守ろうとするのです。

また、それを露骨に表すことができないから「可哀想」と同情するフリをして、ちゃっかり自分を上に置くことも忘れません。

このように「可哀想」という言葉は、一見美しい言葉に見えて、使い方によってはとても残酷なものです。

それさえ気づかず「可哀想」を連発しながら「心優しい私」を演じている痛い人の方がもっと「可哀想」な人なのですが、きっとそれさえ気づいてないでしょう。実に可哀想なことです。

冬の日本海に旅立つことをおすすめします。

 

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