昨夜、女優の川島なお美さんが肝内胆管がんでこの世を去りました。心よりご冥福をお祈りします。
なんだかとても残念な気持ちでいっぱい。やはりがんには勝てないのでしょうか…。
なぜ私がそう思うのか。それは今年6月に胆管がんで亡くなった友人❪最後まで末期ガンと戦った友人の記録❫と川島さんとをずっとダブらせて見ていたから。友人は亡くなってしまったけど、せめて川島さんは胆管がんを克服して欲しいなと願っていたから。
同じ時期に同じ病と闘っていた
川島なお美さんの肝内胆管がんが見つかったのが2013年の夏。
私の友人とほぼ同じ時期に同じ病と闘っていたことになります。
彼女のがんが見つかったときの詳細は、当サイト「余命一年」を参照してください。
川島なお美さんと友人をダブらせて見ていたこの数ヶ月
この時点で友人はステージⅢで余命1年の宣告を受けていました。
すでに肝臓と肺への転移も認められ、手術はできない状態でした。抗がん剤治療だけが唯一の治療法。しかもそれはがんを治すことではなく、進行を遅らせるだけのもの。
看護師をしている友人は「余命1年の宣告だけど、もう少しは持つかもしれない。でも5年の生存はない」と、この時点できっぱりと言ってました。そのくらい、胆管がんはがんの中でもタチが悪いがんです。
民間療法を取り入れていた
そんな中でも友人は希望を捨てず、ゲルソン療法という食事療法を取り入れました。
後に知りましたが、川島なお美さんも免疫力を高めるための民間療法を取り入れていたようですね。
川島なお美さんがどの民間療法を実践していたのかは知りませんが、友人が行ったゲルソン療法は、動物性タンパク質と食塩を極力減らし、主食は玄米、野菜は有機栽培のものを摂取し、毎日大量のリンゴ入り人参ジュースを飲むという、美味しい物がダイスキな食いしん坊の友人にはかなりキツいものでした。
無農薬の野菜や果物だって普通のスーパーではなかなか手に入らないため、オーガニックの専門店に足繁く通っていました。
「慣れればけっこう美味しいよ」と言われて飲んだ人参ジュースはお世辞にも「美味しい」と言えるものではありませんでした。(詳しくは「ゲルソン療法の6つの基本」参照)
この民間療法のことを、友人は主治医にも伝えていました。しかし主治医は否定的でした。
「抗がん剤に耐えられるよう、栄養をしっかり摂って」と言ってました。
でも友人は頑として聞き入れません。「これは癌の餌になる」と、栄養価の高いものはほとんど口にしなくなりました。命の期限を告げられた人の、極限の思いを垣間見たように感じます。
ゲルソン療法で体力をなくした友人
友人は抗がん剤しか治療法がなかったからその治療を受けましたが、これが想像を絶するほど苦しいものでした。
髪の毛は抜け、だるさと吐き気に襲われ、特に「朝は起き上がれないほどしんどい」と言ってました。それに加えてゲルソン療法。すっかり体力は奪われ、見る見るやせ細っていきました。 あまりに体力の消耗が激しいので、今年からもう少し弱い薬に変えました。
するとたちまちがんが彼女の体をどんどん蝕んでいき、5月には腹水もたまり、6月に亡くなりました。
女優をまっとうするため抗がん剤を拒否したなお美さん
報道によればなお美さんは治療がつらいからという理由ではなく、女優をまっとうするために抗がん剤を拒否したということです。こうなってみると、これはこれで彼女らしい選択だったと思います。
覚悟の上で、最後まで自分らしく生き抜きたいという思いの表れですからね。
友人の場合、もし抗がん剤を受けなければ、もっと早くに旅立ったかもしれません。だけど、その苦しい抗がん剤治療をしても治ることはなかったわけです。
それならほんの数ヶ月、死期が早まったとしても、苦しまずに済む方法を考えてもよかったのかもしれないと、これは友人が抗がん剤で苦しむ姿をずっと見てきて感じたことです。
彼女は最期まで希望を捨てずに苦しい治療に耐えてきたのに、それが報われることなく死んでしまったという悔しさだけが今も胸に残ります。
なお美さんの場合は発覚したときはまだ手術ができる状態だったから、友人よりはまだ条件が良かったのかもしれません。
手術後も仕事に意欲を燃やしていたし、目力もあり、声にも張りがあったから、もしかしたら克服してくれるかもしれないと願っていました。でも、あの激やせ会見を見た時はショックでした。
そうそう、私の友人もワイン好きでした。もしかしたら天国で出会ったら、きっと意気投合するかもしれません。
それにしても気配りの達人というのは、なんでこんなにも早く死んでしまうのでしょうか。
早いもので、明後日は彼女の百か日法要。お墓にワインを持っていこうかなって思いました。
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