Violet@Tokyo

「いなくなってもまだ言うか!」辞めた人の悪口を言う心理

約6分



悪口というのは、その場にいない人に向けられることがほとんど。正面切ってちゃんと言えない卑怯者が、陰でコソコソ悪口を言っては憂晴らしをするという、たいへんみっともない行為です。

その中でも特に悪質なのは、部活を辞める・退職するなどしてすでに相手と完全に縁が切れているにも関わらず、辞めた人の悪口を言い続ける人。

辞めて縁が切れたなら互いにもう関係ないはずだし、辞めていなくなった人の悪口をいくら言ったところで何かが劇的に変わるわけでもないというのに、なぜ残った人たちはしつこく言い続けるのか、その理由について考えてみます。

楽しみが減った怒り

彼ら彼女たちにとって悪口こそが唯一無二の楽しみで、生きる糧。悪口を言える相手が自分の目の前から消えるということは、貴重な楽しみの一つを奪われたような気分になるのです。いわばおもちゃが一つ無くなった悔しさのようなもの。

子どもが道端にお菓子を落とした時にもこんなことはよくあります。自分の不注意で落としてしまった後悔と、食べたかったのにもう食べられない悔しさを紛らわすためにわざわざ足でお菓子を踏みつける、それと同じ理屈でただの八つ当たり。実に未練がましいみっともない行為です。

早い話、辞めた人の悪口を言う人というのは、「常に誰かの悪口を言ってないと死んじゃう病」に罹ってる気の毒な人たちの集まりです。なので仮にその人が辞めずにそこに居続けたとしても、何かしら言われ続けることでしょう。縁を切って正解です。

自己正当化

これは趣味のサークル、特に女性が多く集う競技系のスポーツクラブなどに多いのですが、誰かが辞めた場合、外部の人からなぜ辞めたのかと質問されることがよくあります。そのため辞める側も気を使って、内外に対して聞こえの良い、無難でもっともらしい理由を用意して、それ相応の手順を踏んで辞めていくことがほとんどです。でもそれは、波風立てず面倒なことを避けるために便宜上そうしているだけのこと。辞める側は口に出さずともそこが嫌だから辞めるのです。なんの不満もなければなんとかしてそこに残るはずですから。

そんなとき、辞めていく人の不満がどういうものかに心当たりのある人たち及び、その原因を作った人(いじめた側)ほど必死になって打ち消しにかかります。

さんざんいじめておきながら、いざ辞められたら「いじめがバレたら大変」とばかり、自分たちのせいで辞めたと思われたくないから先回りをして「辞めた人の方が悪いことにしてしまえ」となるのです。

また自分が常に誰かの悪口を言ってると、他人からも同じことをされるのではないかという恐れも加わり「言われる前に言ってやれ」という気分にもなるのです。

これらは全て後ろめたさの裏返しで、自己正当化そのものです。

歪んだ団結心

閉鎖的で井の中の蛙ばかりが集まる環境ほど、薄気味悪い変な団結心があります。団結心と言えば聞こえはいいのですが、その実態は仮想敵を作って団結しているだけの不健全な関係です。

辞めた人を悪人に仕立てて残った人たちが団結するのもその典型。「辞める人は悪で、残る人は正義」という図式を作ることで、残った他のメンバーに対して辞めることへの罪悪感や「自分も辞めたらこうして言われるかもしれない」という恐怖心を植え付け、閉鎖社会の秩序を守ろうとしているのです。ヤクザか。

嫉妬

何かしらの不満があっても我慢しながらそこに居続けるような人にとって、あっさり辞めていける人は羨ましく感じるもの。

例えば自分は仕事を辞めたくて仕方がない。自由が欲しい。こんなブラックな職場はクソだ。でも仕事をしないと生活が成り立たないから職場の雰囲気が悪くても我慢しながら仕事を続けてる。

そんな人にとって仕事をスパッと辞めても生活に困らない人の存在は、羨ましさが高じて怒りの対象にもなりえます。

趣味のサークルもそうです。そこが特に気に入っているわけではなく、それどころか不満タラタラだけど次の行き先がないし、辞めて悪く言われるのが怖いから我慢して惰性で残っている人にとって、もっといいところを見つけて批判を恐れずそこにパッと移り、自由を手にした人が羨ましくて仕方がない。

自分は我慢してるのに、辞めた人が楽しい思いをするなんて絶対に許せない。

でも嫉妬している卑小な自分を断じて認めたくない。そんな無視された感情が怒りに変わり、取り残された気分も相まってドス黒い感情に包まれるのです。

その表れが辞めた人への悪口。そうでもしてないと自己のアイデンティティを保てないのです。

度を超えた正義中毒

辞めることをやたらネガティブに捉えている人っていませんか?

状況や理由に関わらず、辞めたいと聞けば「少しくらい嫌なことがあっても我慢しろ。そうでないと逃げ癖がつく」みたいな的外れの説教をかます熱心な努力教信者の人には、「状況によっては辞めて正解という場合(特にパワハラなど)もある。辞める=悪ではなく、あくまでもひとつの選択だ」という理屈が通じません。

困難に立ち向かうことが美徳だと頑なに信じ込むのはその人の自由でその人にとっての正義かもしれないけど、正義は人それぞれ違うし、自分の正義を他人に押し付けていいものではないということを忘れているから「辞めたヤツはだらしない」となるのです。

そんな的外れの布教活動が始まったら「辞めた人を悪く言うことでしか自分の正しさをアピールできない、柔軟な発想ができない前時代の遺物」だと、生暖かい目で見守ってあげてください。

結論・いつまでも続かないので放置していればいい

辞めた人に対する悪口というのは、言ってたとしてもほんのいっときのことです。相手が辞めたことで言い返してくる恐れがないとばかり、最初のうちこそ好き勝手なことを言うでしょう。

でもやがては飽きて、目の前に実在する次のカモを探すだけ。そうやって悪口の対象を定期的にローテーションさせるのも彼ら彼女たちの特徴です。

また辞めた人の悪口を言うのは、実はほんのごく少数で、周りは半ば呆れながら適当に話を合わせているだけということの方が圧倒的に多いです。なので辞めたら自分もみんなから悪口を言われるだろうと必要以上に気にしたり、それを恐れて不健全な環境に身を置き続ける必要はありません。

むしろ辞めて関係なくなったとたんに好き放題言うような、そんな卑怯者からは何を言われたっていいじゃないですか。所詮負け犬の遠吠え。我慢するだけ時間の無駄です。

 

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