「いざという時は隣近所よ!」
そう熱弁をふるうのは、ご近所に住む最高齢者(70歳♀)。
彼女はご近所づきあいの必要性をコンコンと訴えます。
その持論をかんたんにまとめると、ご近所付き合いを円滑にしていれば
- 災害時には隣近所で助け合える
- 孤独死のリスクが減る
- マンションとは違い、戸建て住宅の場合は防犯上も安心
- 地域の情報を入手できる
- 話し相手に困らないから寂しくない
- 友達がいれば楽しい
彼女に限らず、ご近所づきあいが必要だと考える人は、このような意見が多いです。
でも、本当にそうでしょうか?
私はご近所づきあいの必要性を全く感じていません。極力近所付き合いをしない方法ばかりを考え、基本的に挨拶程度です。「それで寂しくないか?」と聞かれると、全く寂しさを感じてません。むしろ近所付き合いをしない方がはるかに気楽で快適です。
私が近所付き合いを必要としていない理由
上記の例で考えます。これって全て、誰かに依存しようとしてますよね。
人付き合いは精神的に独立した者同士で行った方が楽じゃありません?
まず災害時は自分のことで精いっぱいです。そう考えれば防犯上の問題も含めて「自分の身は自分で守る」という意識を持つのがベストです。孤独死の問題も、近所づきあいだけでは解決できません。
情報は、近所の噂話よりネットで入手できます。今は回覧板の時代ではありません。情報は自分で取りに行く時代です。
友達だって、学生時代の友人や趣味のサークルにたくさんいるので、近所に友達を作る必要性を全く感じてません。
ただ友達の問題に関しては、他のエリアから越してきた人とは違って私はずっと地元を離れなかったからこう言えるのかもしれませんが、それを差っ引いたとしても、友達は作ろうとして作れるものではありません。自然とできるものです。
近所づきあいにストレスを感じた過去
こんな私でも、以前はご近所づきあいは必要なものだと考えていました。
誰だって戸建てのマイホームを手に入れ、「この地でずっと暮らしていくんだ」と思えば、近隣住民とは円滑な関係を築きたいと願うはず。
それは私も同じでした。ところがだんだん、近所づきあいがストレスになりました。
井戸端会議はくだらない
ちょっと犬の散歩で外に出ると、そこでつかまり何時間にも及ぶ井戸端会議が始まります。
暇を持て余した主婦の会話は延々と続くだけです。「ぼっちではない社交的な私」を演じたいのか、とにかく誰かとしゃべっていたいだけなので、会話に結論なんてありません。エンドレスに続く耐久レースのようなもの。あのまま行けば、いずれ路上生活主婦になる日も近いと思われます。
腹の探り合いをしながらのうのわべだけの会話。見え透いたお世辞にわざとらしい作り笑い。そこにいない人の噂話や悪口…。実にくだらない。話題に広がりがないから全く楽しくありません。
いい大人が集団でつるむのも見苦しい。そんな時間があったら自分のために使いたいです。
戸建てならではの悩み
仕事が休みでたまった家事を片付けたいと思っても、駐車場に車があると「いるー?」と庭先に勝手に入ってきてくだらないおしゃべり。
「ああこの時間に、これだけのことが片付くのに…」
何度そう思ったかしれません。戸建ての場合、マンションと違ってそういったプライバシーはありません。それが私には大きなストレスでした。
自分を偽ってまでつきあう必要はない
最初のうちは「遠くの親戚より近くの他人」という言葉に縛られていたせいか、「少しくらい嫌でも我慢してつきあわなきゃ」と、自分を押し殺していました。
でもある時、そんな言葉に縛られていること自体が「バカバカしい」と思うようになったのです。
だって腹の探り合いをしているような、うわべだけの関係なんてつきあうだけ時間の無駄です。それでストレスを抱えてしまったら「何のためのマイホームなのか?」という問題になります。
そこで開き直りました。
「今はそんな時代ではない!自分の心に正直でありたい!」
そう思ったらとても楽ちん。「うちはここまで」という線引きをしたのです。
近所は上手くいっているときはいいかもしれないけど、トラブルがあればやっかいです。
でも最初から必要以上に関わらなければ、トラブルになることはありません。
郊外の住宅地なら最低限の近所づきあいで十分だった
地域によって違いはありますが、多摩郊外の開発分譲地くらいなら、必要最低限のおつきあいだけで十分です。
- 最低限挨拶だけはする
- 長話にはつきあわない
- 何かもらったらお返しはするけど自分の方からアクションはかけない
- つきあわない代わりにゴミ出しなどのマナーはしっかり守り、クレームが来るような事態を避ける
- 自分の生活に関しては一切明かさない
もちろんこれは私が子育て世代ではないから言えることです。
しかし現役子育て世代でも、ママ友とのつきあいが自分には合わないと思うなら、勇気を持ってつきあわない選択をした方がはるかに人生は楽しいです。
少なくとも、ママ友イジメに遭って自殺するよりはるかにましです。
趣味のサークルで本音でつきあえる仲間ができた
私は7年前から趣味でバドミントンをやってます。そこでの私は「○○ちゃんのママ」でも「○○さんの奥さん」でもない、個人としての私でいられます。
そこにはママカーストなんて存在しません。歯の浮くようなお世辞も作り笑いも不要です。暮らしぶりを詮索するような人もいません。
最初は趣味を通じたつきあいだけの関係でも、やがて時間が経てば本音でつきあえる関係になります。別に友達を作りたくてバドミントンを始めたわけではありませんでしたが、気がついたらそんな仲間が市内中にたくさんできてました。
現状に満足してないから近所によりどころを求める?
そんなある日、距離的にも心理的に離れた場所から近所の主婦たちを見て気づきました。
道のど真ん中で日々井戸端会議に明け暮れる暇な専業主婦たちは、胸のうちを明かせる相手がいないから、いくらしゃべってもしゃべり足りない、家族にも相手にされない、打ち込めるものもない、年を重ねた割には大人としての品格も知性もない、あるのは昨日と同じ今日だけ。そんな人たちの集まりなのだと考えると、なんだか哀れになりました。
広い世界に出てみよう
狭い世界の中だけで過ごすと、まるでそこだけが自分の居場所のように思えて、その狭いエリアだけの人間関係で一喜一憂するようになります。
でもそんなことをしていたら、もったいないと思いませんか?
仮に狭い地域でたった一人だったとしても、家族がいれば一人ではありません。
それよりもっと広い世界で大勢の仲間に囲まれた方が、はるかに人生は楽しいです。
近所に頼らず自分の人生は自分で充実させましょう。くだらない人間関係の悩みで、たいせつな時間を消耗するのは、もうやめましょう。
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