長く生きていると、大切な人との別れをいくつか経験するものです。
今年の初めに母が旅立ち、二年前には親友が。そのもう少し前には父が…。
みな、私の人生に大きな影響を与えた人たちばかりです。
大切な人を失ったときに受ける心の傷
「いつか別れるときは来る」と頭でわかっていても、大切な人・いるのがあたりまえと思っていた人が、ある日突然自分の人生からいなくなるという現実に直面すると、心が追いついて来ない。
いつもの”日常”が、ある日突然”非日常”の世界に突き落とされるような感覚。「辛い、悲しい、寂しい」といった言葉が空々しく感じるくらいの大きな衝撃。
どうやって息をしたのかも思い出せない。「時が止まる感覚」とはこういうことを指すのかと、頭ではなく心で体感する瞬間。
その苦しさから大切な人がいないことを、せめて「ふつう」だと思える時点まで一足飛びにスキップしたいと願ったりもします。でも残念ながら、「時間」は巻き戻しはもちろん、早送りだってできない。
もどかしいくらい いつもと同じ歩幅でチクタクチクタクと、ゆっくりゆっくり流れていきます。
時間薬はゆっくりとしか効かない
大切な人がこの世からいなくなったことを、現実のものとして受け入れるために必要な時間は人それぞれ。だから生きている側は、そんな状態でも目の前の一日を、かつての日々と同じように淡々と生きていくしかないわけです。
そうしているうちにいつかきっと、心からの笑顔を取り戻す日が来るでしょう。
時が流れてみると、あの時に”非日常”だと思っていたモノクロの世界が、今ではすっかり自分の”日常”になっていることに気づき、しかもその”日常”はモノクロではなく、色のある世界になっていることにも気づきます。
そこで初めて時間薬の効果を体感するのです。これまでそんなことを、何度となく経験してきました。
時間薬は万能ではない
ただそんな中でも、ふとしたときに時間薬は万能ではないと思い知ることがあります。
例えば今回小林麻央さんの訃報に触れたときがまさにそれ。親友を亡くした、あの時の感覚がリアルに蘇ってきました。
私の時間薬は、どうやらまだ半分くらいしか効いてないみたいです。ふいにかさぶたが剥げ落ちると、溢れる思いで心がざわつき、今はただ会いたいという気持ちでいっぱい。
親友もまた、麻央さんのようにどんなに苦しい状況でも自分のことより周囲を思いやる人だったからなおのこと、当時のことがリアルに脳裏に浮かび、過剰に心が反応してしまう…。ここ数日、ずっとそんな日々を過ごしていました。
明日は親友の3回目の命日。
何年経ってもこの傷は、私が生きている限り、もしかしたら一生抱えていくものかもしれません。私にとってはそれだけ大切な人だったから。
避けては通れない大切な人との別れ
癒えたように見えても、どこかでジクジクうずく深い傷を与えるのが大切な人を失うということ。この先もきっと、何度となくそんな経験を繰り返しながら生きていくことでしょう。それもまた人生。
だったらせめて、すごく月並みすぎるくらい月並みなんだけど、今あるあたりまえの日常を大切にする。今、目の前にいる大切な人たちに誠実に向き合って生きていく。それしかないのかな、なんて思うわけです。
終わりから学ぶこと。それが残された者の役割りなんですね。
最新情報をお届けします
Twitter でvioletをフォローしよう!
Follow @violet2005