「プライドがある」と言えばプロフェッショナルな良いイメージが。しかし「プライドが高い人」となると、一般的にはこのような悪いイメージを持たれています。
一般的なイメージ
常に自信満々で、人を見下して鼻持ちならない高慢ちきな人
「自分は特別な人間」だと思い込んでいる人
負けず嫌いで自分の非を認めない人
極度の見栄っ張り
ではプライドがなければいいのかと言えばそうではなく、へりくだった態度をとれば「オマエにはプライドってもんがないのか!!」とバカにされます。「プライド」をネットで調べたらこんな風に書かれていました。
プライド(英語: pride)は誇り、自尊心、自負心を意味する言葉。
情報源: プライド – Wikipedia
実体がないプライド
プライドはその人の中にあるもの。かつその実体は他人からは見えないはずなのに、高くてもダメ、低くてもダメとされるプライド。
だったら「理想的なプライドの高さを具体的に教えてくれよ」って言いたくなりますが、実体がないだけに、高いか低いかを判断するモノサシは人それぞれ。よって「プライドが高い人」の定義も判定基準も人それぞれ。
なのに扱いにくい人を見つけると「あの人ってプライド高いんじゃない?」で片づけて、それで一同納得する場面がしばしば。
だから、実に不思議な言葉だと思うのです。
深く考えずに使用されている
実はその言葉を使う本人も、あまり深く考えずに大雑把に表現しているだけじゃないのかと思ったのは、先日試合で大泣きした高校生の件で。
21点ゲームで5点も取れない一方的なワンサイドゲームでイライラしたのか、言われっぱなしでよほど悔しかったのかはともかく、こうなると勝ち負け以前の問題です。負けたことが悔しくて未熟な自分に対して泣くなら見込みがある。でもこの子はそうではなく、人としてダメ。
関連記事
このとき近くで見ていた人が、「あの子、よほどプライドが高いのね」と言ったことがずっと引っかかってモヤモヤしていました。
「何かが違う、あれをプライドが高いとは言わない…」
それ以来、「プライドが高い」の定義ってなんだろうと、ずっと考えていました。
やたら「プライドが高い」で片づけすぎ
考えてみれば、ふだん私は「プライドが高い」という表現はしません。先に挙げた例ならこう捉えます。
- 常に自信満々で、人を見下して鼻持ちならない高慢ちきな人→ただのイヤミ
- 「自分は特別な人間」だと思い込んでいる人→ただの自意識過剰
- 負けず嫌いで自分の非を認めない人→ただのあまのじゃく
- 高飛車で極度の見栄っ張り→そのままタカピー、見栄っ張り
とにかく、それらに対してもったいなさすぎて「プライド」の”プ”の字も差し上げたくないという感じでしょうか。
正反対の人を「プライドが高い」と判断している
プライドの意味は「誇り、自尊心、自負心」となっています。今井美樹さんの代表曲・「PRIDE」の歌詞「あなたへの愛こそが私のプライド」なんてその最たるもの。揺るぎない強さを感じさせます。
しかし冒頭でご紹介した一般的なイメージは、それとは正反対の弱い人を指しています。プライドを意味する自尊心と自負心は、このような説明がされています。
自尊心(じそんしん)とは、心理学的には自己に対して一般化された肯定的な態度である[注 1]。英語のままセルフ・エスティーム(英: self-esteem)とも呼ばれる。ここでは社会心理学における自己の概念に関して、育み維持される自己評価や、あるいは「ありのままの自己を尊重し受け入れる」態度とする。
情報源: 自尊心 – Wikipedia
自分の才能や仕事について自信を持ち、誇りに思う心。
自尊心や自負心がないから他人に対して尊大な態度を取り、自信がないからバカにされまいと必死に見栄を張るのです。非を認めないのだって、ありのままの自分を肯定できないからそうなるわけです。
意味が真逆ですよね?
プライドのかけらも持ち合わせてない人に対して「プライドが高い」と表現しているこの矛盾。これも横文字マジックのなせる技でしょうか。
私がイメージする「プライドが高い人」とは
以上の理由から、私は世間一般で言われている人格的に難ありという人をプライドが高いとは思っていません。私にとってプライドが高い人は以下のような人。
- 「能ある鷹は爪を隠す」をサラリとやってのける人
- 謙虚さ・素直さがある人
- 誰にでも同じ態度で接することができる人
- 品格がある人
- 強さをうちに秘め、それを表には出さない人
世間で言われている人と見事に真逆ですよね。まぁプライド云々はさておき、人としてこうありたいと願ってます。
最新情報をお届けします
Twitter でvioletをフォローしよう!
Follow @violet2005