Violet@Tokyo

【愛犬の肺がん闘病記】突然の死〜ヴィオレ、天国へ

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約6分



約1年間肺腺がん治療をしてきた愛犬ヴィオレは、今日静かに天国に旅立ちました。

この記事を書いたのは先月23日。わずか3週間足らずでこんなことになるとは、このときまったく想像もしてませんでした。

急激に悪化

上記の記事を書いたときは元気だったけど、今月に入って急に食欲が落ちて、何度か病院に足を運びました。

「副作用が少ない薬に変えたのに、なぜ?」

詳しく調べても特に異常は認められず。一過性の胃腸障害と診断され、2日続けて対症療法を実施しました。それをやった直後はいくらか回復するものの、数日するとまた食べられずの繰り返し。その間、少しずつ動きも緩慢となり、かつてやっていた「こういうときにはこういうことをする」という、ヴィオレ独自のルーティーンもなりを潜めていきました。

でもだましだまし、手を変え品を変え、少しでも食べてもらおうとしても、「もういい」という感じでプイッと横を向いてしまう。その間どんどん衰弱して体力は奪われていく。そんなことが数日続いたある日、とうとう足もふらつくようになり、その場にうずくまることもありました。呼吸数も多くなり、肩を揺らせながら苦しそうにゼイゼイすることもありました。

そんな状態でもちゃんと自分の足で立って水を飲みに行こうとする。トイレにも、ちゃんと自分で行こうとする。それだけは命の灯火が消える直前まで続きました。本当に偉い。あっぱれないい子です。

この数日の様子を見て、ヴィオレは本当にすごい子だなぁと感心しまくり。一度もおしめをしたことがなく、粗相をして周りを汚すこともしませんでした。

「治してあげたいけど…」という医師の言葉

一昨日定期検診でがんセンターに行きました。いつものように血液検査とレントゲン。食欲が戻らないので治療らしき治療もできず。やったことといえば溜まった胸水を抜くくらい。

担当医はこのときこう言いました。「治してあげたいけど…」と一拍おき、こう続けました。

「今の状態だと、いつ、どうなってもおかしくない」

「これ以上、もうやりようがない」という事実上の敗北宣言です。医者だからこそ治療の限界を知っているのです。この言葉を聞いても、まさかこんなに早くそのとおりになるとは思っていませんでした。14年も一緒にいると、いてあたりまえ。いなくなることが信じられないのです。

最後の散歩

前日胸水を抜いて少し楽になったのか、昨日の朝はいつもよりほんの少しだけ食事を口にしました。

これに気を良くし、3月とは思えないポカポカ陽気ということもあり、ちょっとだけ外の空気を吸わしてやろうとカートに乗せて満開になった河津桜を見に行ってきました。

毎年楽しみにしているのは、ソメイヨシノが咲き誇る桜並木を家族でのんびり散歩することです。でもそれは、今年はできそうもないと思ったので、今が満開の河津桜の匂いを嗅がせてあげました。

ずっと調子が悪かったので外に出るのは久しぶり。地面におろしてみると、ほんの数歩だけど自分の足でしっかりと歩き、匂い嗅ぎをして、ここがどこかを確認しているみたい。

桜の花に近づけると花びらを食べたがるのもヴィオレの特徴。この日もこれをやりました。

今自分がどこにいて、何をしているのかがわかったみたい。このたった数分間の外出が良い気分転換になったのか、自宅に帰ってからはしばらくぶりによくご飯を食べ、デザート(だいすきなリンゴ)までねだるほどに。ひさしぶりに聞いた、力強い「ちょうだい」の吠え声が嬉しくて嬉しくて。

別れは突然に

今朝は昨日とはうって変わって食欲ゼロ。午前7時、夫はいつもどおりに出勤しまた。いつもならこういうとき、「行っちゃダメ!」と吠えまくるのですが、その様子もありません。

でも定位置であるソファから降りて自分で水を飲みに行き、トイレに行きたくなれば自分の足でそこまで行って用を足す。足取りもしっかりしていたその様子を見て、数時間後に最悪な事態を迎えるとは思ってもいませんでした。

夫が出勤した後も、ずっとソファの上で寝てました。ときおりソファから降りて自分のケージの中を覗き込んだりして、ちょっと落ち着かない様子は見られたものの、ぐったりしている感じはありませんでした。

私はしばらくそばについていたのですが、10時くらいになって自分の用をするために少し目を離して戻ってみると、床の上に横たわっているヴィオレの姿が目に飛び込んできました。

驚いてすぐさま抱きかかえようとすると、ヴィオレは反射的に噛みつこうとしたのか痙攣したのかは定かではないけれど、今までにはない反応を示しました。

「これはただ事ではない」という事態の深刻さを感じ取りました。

一呼吸置いてからもう一度ヴィオレの体を抱きかかえると、今度は首も手足もグタッとして、口からは舌を出していて、すでに意識がない状態であることを確認しました。でも息はまだある。「なんとか間に合って」という思いで、夫の勤務先に連絡をして戻ってもらうことにしました。夫が戻るまで、私はずっとヴィオレを抱きかかえていました。

夫が帰ってきたのはそれからしばらくしてから。すでにヴィオレの体はどんどん冷たくなり始めていました。でもこのときはまだ、お腹はかすかに動いているようにも感じました。顔はとても穏やかで、苦しいとかそういう感じではありません。安心しきってぐっすり寝ているような、そんな健やかな寝顔です。満ち足りた顔つきです。

やがて死後硬直が始まったことを確認したのでヴィオレが天に召されたのだと実感しました。

結局私たちはヴィオレがいつ息を引き取ったのかもわからないまま、ヴィオレを見送ることになったのです。そのくらいヴィオレの旅立ちは静かでとても穏やかなものでした。

いじらしい

死後硬直が始まったので着せていた洋服を脱がせようとしたら、お尻に小さなウンチがついてました。

それを見て、なぜ床に倒れていたのか、謎が解けました。ウンチをしたくなって意識が朦朧とする中最後の力を振り絞って、必死でトイレに行こうとしたのです。途中で力尽きてしまったけど、最後の最後まで本当に親孝行な子だと、そのいじらしさを思うとよけいに泣けてきます。ずっといい子だったけど、最後までいい子のままでした。

まだ実感はない

以上がこの数日と今日あったことの全てです。ヴィオレが旅だった実感はまだありません。

これからきっといろんな感情が押し寄せてくるかもしれないけれど、今はまだ、心が空虚な状態。

今思っているのは、最後に苦しまなくてよかったという思い。「ヴィオレを見送るときは、ぜったいに私の腕の中で」というヴィオレとの約束が果たせた安堵の気持ち。それから、前の夜にねだったリンゴを、もっとたくさん食べさせてあげればよかったという後悔の念…。それらが複雑に入り混じり、頭の中はとっちらかってまだ整理がつかない状態。

手術をしたのは昨年3月11日だったので、あれから約一年後にこんなことになるとは思いませんでした。この一年、私たちは常に希望を抱いて奇跡が起こるのを願い続けました。でもそれは叶わぬ夢となりました。

ありがとうしかない

周りの人からはよく、「ヴィオレはだいじにされて幸せね」と言われるけど、そうではありません。私がヴィオレに幸せにしてもらったのです。

ヴィオレちゃん、あなたの飼い主になれてよかった。私は世界一幸せな飼い主でした。14年間、今までほんとうにありがとう。

 

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はじめまして。このブログを執筆しているViolet(ヴィオレ)です。
このブログは私が日々感じたこと、考えたことに独自の視点を交えて書き留めている忘備録です。読者の方に少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
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