タイトルのとおり、日本のどこかで毎日のように繰り返される匿名ブロガーVS顔出し・実名ブロガーの戦い。この件に関しては、それぞれの立場の人たちが、互いについてもっともらしい言い分を繰り広げています。
実名・顔出しでブログを書いている人が「誰が書いたのかわからない匿名のブログは信頼できない」と言えば、匿名ブロガーはハンカチを噛み締めてキーッとなり、実名・顔出しのリスクをあれこれ並べ立て応酬します。こうして全国各地で終わりなき戦いが、今日もまた勃発するのです。
読者不在で主語が読者だから終わるわけがない
なぜこの争いに終わりはこないのでしょう。
それは、そこに参戦してない”読者”視点を持ち出すからです。(ブログをやってない人という意味)
そこにいない読者は、「どちらが信頼できるか」なんて答えられるはずもなく、ましてブログを運営してなければ、顔出し・実名のメリット・デメリットに関しても無関心のはず。
そういう人たちは自称プロブロガーや悪性インフルエンサーも無関心。検索で引っかかった記事だけを読んで終わるのがほとんどです。
そんな読者に「どちらが信頼できるか」を答えられるはずもないという「保険」を元に、好き勝手に語るから話がややこしくなるのです。
顔を出したければどうぞ自由に出せばいい。でも信頼云々は無関係です。
顔出ししてても嘘をつく人はいるし、匿名でも誠実な記事を届けているブロガーはゴマンといる。
もちろんその逆もあります。
信頼できるかどうかは記事の内容。
なのに、なぜかそこは置き去りにされている。それが不思議。
主語を私にする
顔出し・実名ブロガーは、口を揃えて「読者に安心を届けるため」と断言します。はい、ここでまた”読者”という主語の出番です。
そうじゃないだろうと。”自分”がそうしたいと思ったからやってるだけだろうと。全ては”自分”の判断だろうと。
「”私は”顔出しする必要があると思ったからそうしてる」「”私は”その必要がないと思ってるから匿名でやってる」と言えばそこで試合終了なのに、なぜか主語が”私”ではなく”読者”になり、さらに聞かれてもいない顔出しのメリットと匿名のデメリットをあれこれ語り始めるから話が混乱するのです。
“そこにいない人”を主語にしている限り、この論争に終わりが来るはずはありません。
覚悟というのは、実名・顔出しよりむしろ、そこにいない人を保険の材料にしたり、自分と違うステータスの人を否定することでなく、「誰がなんと言おうと、自分がこうしたいからする」ことを指すのではないのかと、私は常々そう考えておりますが、いかがでしょう。
「読者のため」を熱弁するほうが信頼できない
それにしても”読者のため”というのは、自分を押し付ける便利なキーワードですわね。
「こんなにも私は読者のために一生懸命なんだ」というパフォーマンスであるのはミエミエなのに、必要以上に熱弁を奮って信頼を得ようと必死になっているブログを見ると、匿名VS実名・顔出しなんてことよりむしろ、論点のすり替えをする方が、はるかに信頼できないと思うのは私だけでしょうか。以上です。
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