同窓会、参加してますか?
こんな記事が目に止まったので、同窓会について書いていきます。
ざっくり言うと「同窓会への参加は自己肯定感の有無が影響する」みたいな内容なんですけどね。自信がない人は億劫なんだって。くだらない。というか、的外れもいいところ。
ちなみに私は高校・大学時代の気の合った友人たちとは、改まった同窓会スタイルではありませんが月一ペースで集まっています。
14〜5人をグループ設定してあるので毎日のように誰かしらのメールが入ってきます。なので誰が今、何をしているのかも手に取るようにわかります。
小中学校の同窓会はパス!
そんな私でも、中学・小学校の同窓会は全力でスルーしています。
理由?
全く行きたいと思わないから。
ちなみにイジメとか、そういうのではありません。ここに書いてあるような自己肯定感がないわけでもありません。ジブンダイスキ。自己肯定感だけは天より高いです(笑)
離れ過ぎればアカの他人!
ただ…。私くらい長く生きていると、中学や小学校のことなんて、忘却の彼方もいいところ。多分街ですれ違っても、誰が誰だかわからないし、名前すら覚えてないというわけ。
いわば全く知らないアカの他人。そんな人たちと、いまさら思い出話に花を咲かせて交流を深めましょうだなんて、そんな気分には全くなれないのです。
なので私の場合は、時間と距離が開きすぎて共通の話題もないし、会いたいと思う人がいないというのが行かない理由です。
過去より今がたいせつ
それに今、自分の生活がとても楽しくて充実しているから過去を懐かしむ気分でもないし、親しい人とだけ定期的に集まっているから「別にいいわ」って感じ。
ずっと会っている人たちは人生の一部のような存在だけど、それ以外はいくら元同級生といえど、「外側の人」という位置づけにはっきりくっきりカテゴライズしちゃってる。
それでも若い時なら「友達100人できるかな?」的なノリで、そこから新たな関係を作ろうという意欲も出るかもしれないけど、もうこの年になると、どうでもいい人としゃべる時間があるならバドミントンでもやってた方がよっぽど楽しい。
多分、同窓会に行かない人の理由の大半は、ほぼそれじゃないのかしらね?
同窓会が楽しみな人と億劫な人の違い
とはいえ、なんでこんなにも中学時代のことを覚えてないのかと、自分なりに考えてみました。別にボケているわけではありませんよ。まだなんとか大丈夫です(笑)
人によっては中学時代のことを実にコト細かく覚えているというのに、中学校時代だってそこそこ楽しく生活していたはずなのに、私は当時の記憶がまるでない。小学校はもっとない。
「上書き保存」タイプの人は同窓会が億劫
そんな話を先日高校時代の友人としていたら、「オレも全く同じ」と言われました。「なんでだろうね?」ってことになった時、彼はこう言いました。
「楽しかった中学以上に、高校・大学時代の仲間関係がもっと楽しすぎたからだよ」
つまり、楽しい思い出は上書き保存されるから、新しいものがいちばん上になるという意味です。
これにはいたく納得。卒業したくないくらい当時は本当に楽しかったし、現在に至るまでそれは継続しています。
「名前をつけて保存」タイプの人が同窓会を楽しみにできる
それで思い出すのが別れた恋人に対する男女の分類方法の違い。
女性は「上書き保存」するから新たな恋人ができると過去の男なんてきれいさっぱり忘れちゃう。街でバッタリ会っても「アナタ誰?」になっちゃう。
一方男性は「名前をつけて保存」するから、あっちの女とこっちの女それぞれを別個に考えられるのです。だから昔のことまでしっかり覚えてられる。とうの昔に別れたのに、いつまでもしつこく「オレの女」と思ってる。
同窓会を楽しみにする人と億劫な人の違いって、実はこれに関係しているのでは?と思ったわけです。少なくとも私の場合はまさにこれ。
だから少しくらいイヤなことがあっても、ある程度の時間が経てば、たいていのことは「だからなんだ?」ってな感じでどうでもよくなる。しぶとく生き抜く上ではプラスといえばプラスだけど、見方によっては薄情者に映るかもしれませんね、別にいいけど。
最後に
もし、これから同窓会に出席を予定しているなら、昔話を通じて「この人はどっちのタイプかな?」と、そのあたりをチェックしてみるのも楽しいかもしれませんよ。
ほぼ大半は「よくこんなことまで覚えてるよな」と感心するような、名前をつけて保存タイプがゴロゴロするはずですから。以上です。
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