Violet@Tokyo

雑談力がない同士の会話の不毛さは痛々しいです

約3分



いよいよ梅雨明けしました。本格的な夏の到来です。

この時期は窓を開け放していることが多いのですが、たまに家にいると近所の主婦たちの井戸端会議が聞こえてきます。

私は人との会話は好きな方ですが、なぜか近所の人たちとの会話だけは楽しいとは思わないのです。

先日も主婦Aが隣家の主婦Bと長々と話していました。挨拶代わりに「暑いですね」から始まり、現在建築中の目の前の家のことに及びました。

すると主婦Aは、「うちは子供がいないから、いずれは今の家を売って介護型の老人ホームに入る」とかなんとか言ってました。

それを受けて主婦Bは、「うちはお宅と違ってそんなお金がないから」と、謙遜しているのかどうなのかはわかりませんが、内心は主婦Aの経済力が羨ましいに違いありません。

それに対して「ここはみんな同じだから」と、意味不明のことを言ってました。

「同じである必要なんてないでしょ」と、思わずツッコミたくなりました。それに事実、同じではないのですよ。

100歩譲って「みんなが同じなら安心なの?」とも言いたくなります。個性をよしとしない、横並びなら無難という考え方を持つ一方で、取っかえひっかえベンツを乗り回して「みんな同じ」という言葉を聞くと、主婦Bは内心キッーーーとなっているに違いありません。

つまり主婦Aは言葉の使い方を知らないのです。

介護型老人ホームの話は私も以前彼女の口から聞いたことがあります。

彼女は会う人会う人に同じ話ばかりするのです。世界が狭い分だけ話題に乏しいからです。

それから挨拶がわりの「今日は暑いね」という天気の話ですが、「雑談力を高めるために天気の話題を持ち出すのは効果的」というマニュアルがまかり通っていますよね。

でも20年以上、隣同士で会うたびに毎回毎回「今日は暑いね」「寒いね」「よく雨が降るね」みたいな話をしなければ会話が成立しない関係の方がおかしいですよ。

相手のことを「お宅」と言う関係でしかないのなら、無理に中身のない会話をしなくてもいいのにと、私なんて思ってしまいます。

毎回暑いの寒いのと言ってるので、私は「そうですね」と言って終わりです。

「暑いからなんなの?そこから先の会話が広げられないの?」と言いたくなります。

広げたつもりでも話題が同じでは意味ないですけどね。毎度会話のきっかけ作りが天気の話だけで、その先の話も、以前聞いたことのある同じ話題だと、ちっとも楽しいと思わないのですよ。

それなら私はバドミントンをやったりネットで好き勝手なことを書いたりしている方がはるかに楽しいのです。

住む世界の狭い人、視野の狭い人との会話って本当に時間の無駄でしかないです。私は時間の無駄遣いをしている暇はないのです。彼女たちはそうは思わないのでしょうかね。不思議。

 

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このブログは私が日々感じたこと、考えたことに独自の視点を交えて書き留めている忘備録です。読者の方に少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
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