がんという言葉を聞くと、ほとんどの人は死を意識するはずです。私も今回初めて考えました。
「ああ、もしかしたら私、死んじゃうのかな?」と。それこそ最初の何日間というものは、寝ても覚めても不安がつきまとい、頭の中はぐちゃぐちゃでした。
でも今は、最初のショックがおさまり、少し心が落ち着いてきました。
これもきっと自然治癒力のなせる業、人は傷ついても、どんな状況でも、立ち直るようにできているようです。
心の立ち直りをサポートしてくれたのは樋野興夫氏の言葉の処方箋でした。
がんを不良息子に見立てるという発想
「がんとは、不良息子を見守るように寄り添ってみてください」ということです。
不良息子が立ち直るまでに、どのくらいの期間を要するかは予測がつきませんし、一筋縄ではいかないのは確か。
それでもかわいいわが子ですから、見捨てることはできません。焦ることなく穏やかな気持ちで見守り、共存してほしいという気持ちを言葉に託しました。
病気の場合は、完治しない限り、問題が「解決」することはありません。けれども、気持ちの持ち方によって「解決」はできなくとも、「解消」は可能です。「解消」とは、問題はなくなっていないけれど、悩みを問わなくなることです。「解決」だけを意識すると、それができない場合は、かえってストレスになってしまう。必要なのは「解決」ではなく、「解消」なのです。
情報源: 悲しみ過ぎも、から元気もいけないありのままに生きるための「処方箋(せん)」 | がん哲学との出会い | 「がん治療」新時代
どんなにバカ息子でもいきなり不良になったわけではない
「がんは不良息子」という発想が新鮮でした。
多くのがん患者は「がんには負けない」「がんをやっつける」と、がんを敵に見立てて自らの気持ちを奮い立たせます。
実際、私の友人もそうでした。から元気を出し、口さえ開けば「がんと闘う」と言って、怪しげな民間療法を取り入れていました。
あれもダメ、これもダメと、多くの食物ががんのエサになると信じて一切口にしませんでした。
結果、エネルギー不足で体力だけが失われ、肝心の効果はイマイチ。
悲壮な覚悟で臨んだだけに、効果が出ないとそれがまたストレスになるという悪循環。
がんは自分の体の中にあった組織ががん化したものですから、異物ではありません。
できの悪いバカ息子がちょっとぐれただけです。
でもいきなりバカ息子になったわけではなく、生まれた時は素直ないい子でした。
できの悪いバカ息子にしたのも私、不良息子にしたのも私、ぐれるにはぐれるための理由と歴史と環境があるわけです。
仮にぐれそうになったとしても、その前に気づけばぐれることもなかったはずです。そう考えれば、見落としたのも私ということです。
原因が一つでもわかればそれは立派な進歩である
全ての出来事には、原因があって結果があるわけですから、なぜこうなったのかという原因の究明はとても大事。
もちろんいくつかの原因が絡み合ってのことですから、一つでも多くの気づきが必要です。
私の場合は放任主義といったところでしょうか。
これまで風邪一つひいたこともない健康体ゆえ、自分の体を過信しすぎて省みることを怠ったのが最大の原因です。
放任といえば聞こえはいいですが、早い話が悪い生活習慣の積み重ねです。その年なりに気をつけるべきことは山のようにあったはずですが、そこをスルーしていたのです。
その原因に気づいた時、自分の体に謝りました。「今まで無頓着に接してごめんね」と。
そして他の検査に入って、肺、消化器系、子宮など、全て異常なしとわかった時、「ありがとう、よく頑張ってくれたね」と、自分の体に感謝しました。自分の体に「ごめんね」、「ありがとう」と感じることができれば、次はどうしたらいいのかが見えてくるような気がしました。
健康でい続けるためにはライフスタイルを根本から見直す必要があります。
いくら医療の力でその場のがんを克服しても、治療後、自分で生活習慣を改善していかなければまた同じことを繰り返しますから。
悪いところを治すのはもちろんですが、これからは自分の体の声にしっかりと耳を傾けて生きていこうと思うようになりました。
方向性さえ間違えなければ後はその流れに寄り添っていけばいい。今はそんな気持ちです。
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