Violet@Tokyo

【映画】イニシエーション・ラブ~感想

約7分



現在公開中の映画、「イニシエーション・ラブ」を観てきました。あまり期待せず、主演の松田翔太さんが見たくて行っただけでしたが、これがなかなか面白くて、観て良かったと思える作品でした。

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あちこちでネタバレや解説がありますので詳しくは割愛しますが、フレコミによれば「ミステリー」とのこと。でも最後のシーンはどう見ても喜劇でした。「男って、本当にヴァッカじゃね?」の一語に尽きます。

ミステリーなのは前田敦子さん演じるマユですね。 この映画を観た他の人の感想によれば、「女が怖くなった」という記述もありましたが、この程度で「怖い」なんて言ってるようじゃ、まだまだ勉強が足りません。

女は、どんなに傷ついても裏切られてもしたたかに生きぬくのです。男と女、どちらが長生きかって考えれば、答えは明白です。だから男は草食系どころか、絶食系になったのです。

子供の恋を経て女は大人になっていく

マユの顔があどけなくてかわいいからまさかと思うかもしれませんが、通過儀礼(イニシエーション)を経て、大人の女に成長すれば、次に自分を本当に幸せにしてくれる男は誰だろうって考えるのですよ。よく「結婚するなら2番目に惚れた男と結婚しろ」と言われてますけど、あれは本当。だからマユが次に選んだひたむきな「たっくん(夕樹)」は大正解、ブラボーです。

イニシエーションラブの意味とは?

さて、表題の「イニシエーション・ラブ」の意味は、石丸美弥子の台詞で解説されています。

「そう。子供から大人になるための儀式。私たちの恋愛なんてそんなもんだよって、彼は別れ際に私にそう言ったの。初めて恋愛を経験したときには誰でも、この愛は絶対だって思い込む。絶対って言葉を使っちゃう。でも人間には ── この世の中には、絶対なんてことはないんだよって、いつかわかるときがくる。それがわかるようになって初めて大人になるっていうのかな。それをわからせてくれる恋愛のことを、彼はイニシエーションって言葉で表現したの」

女は恋の終わりには敏感

誰にでもイニシエーション・ラブの経験はあると思います。この映画の設定が1980年代ですから、私もまさにこの時期にイニシエーション・ラブを経験していました。だからマユの気持ちがよくわかります。

二股をかけたマユが悪い?違います。マユには遠距離になったたっくん(辰也)との恋が長くないことをうすうす察知していました。つきあっていれば、男の態度がそれまでとは少しずつ違ってきていることなんて、誰よりも一番マユがわかっていたと思います。例えばイライラしながら待つ買い物のシーン。それに、会いに来ても疲れて寝込んでしまう姿を見れば、その恋は長くは続かないと予感します。

女が他の男に走る時はどんな時?

そんな時にマユはもうひとりのたっくん(夕樹)と出会います。最初の頃はまだほんの数回デートをしただけの関係でしたが、妊娠・堕胎の出来事を経て、竜也との別れはすぐそこまで来ていると察知したと思います。特に妊娠の疑いを告げた時のうろたえようと優柔不断さ、あれを目の前で見れば、女はドン引きします。

だからいい男ハンターの賢いマユは、自分を絶対に裏切らないであろう誠実な夕樹に惹かれていったのです。 大人になるということは、安定を求める気持ちが強くなると言っても過言ではありません。マユは恋愛至上主義ですから、スペアーは作っておく必要を感じたのです。辰也と比較すればどう見ても冴えない男ですが、安定株を求める気持ちが芽生えたから夕樹にアプローチしたのでしょう。

形の上では二股の時期もありましたが、辰也とマユの心はとっくに離れていました。女が他の男に走る時というのは、たいてい男の気持ちが離れたと感じる時です。男はこの逆で、女に愛されていると信じきっているから安心して浮気をするのです。

女はしたたか

誰が一番かわいそうか、それは最後のシーンで鉢合わせをしてしまった以上、夕樹ということになると思いますが、彼はマユに惚れぬいているから、最終的には許すのではないのかと思います(期待を込めて)。というより、惚れた者が負けるのが恋愛です。

でも一番おめでたいのが辰也です。 劇中に「木綿のハンカチーフ」が流れていましたが、あの歌詞の中にある「あなた 最後のわがまま 贈り物をねだるわ ねえ涙ふく木綿の ハンカチーフください」とでも思ったのでしょうか。

愛されていると信じきっている辰也は、マユが泣いていると思い込んで「ハンカチを届けなきゃ」とばかり、石丸さんを置き去りにして静岡ターミナルホテルにすっ飛んで行きました。自分が泣かしたことも忘れて。しかもコイツ、DV男じゃないですか。このあたりがおめでたいのです。だってマユはマユで、ちゃっかり涙をふくハンカチの代わりになるもの(夕樹)を自力で得ていたのですから。

男と女の恋愛観の違いとは?

その時のマユの気持ちはどうでしょうか。私が想像するに、「一度死んだと思った人間にいまさら生き返られても…」程度かもしれません。女ってそういうものです。別れた男は死んだも同然。亡霊には用はない。これから私を幸せにしてくれる、生きている男しか目に入らないのです。これを端的に表す言葉があります。終わった恋愛に対する男女の違いですが、「男は名前をつけて保存。女は上書き保存」というのがあります。まさにこのとおりで、別れてもまだ自分の女だと思うのが男です。だから男はおめでたいのです。

ついでに言うなら、この映画を観て木綿のハンカチーフの歌詞に対して感じたことですが、「あなたに泣かされたからその責任として涙をふくハンカチをあなたがよこせ」とも取れます。これは70年代までの女の気持ち、あるいは「女とはこうあってほしい」という男の願望です。でも映画でのマユの行動は、「自分の涙をふくハンカチくらい、自分で用意するわよ」ってことではないですか?だったらとってもいい子じゃないの。しっかりしてて。私は好きです。

80年代はどんな時代?

もう一つの見どころは80年代の時代背景。劇中に流れる音楽、今では街から消えた公衆電話(携帯の普及により)、黒いダイアル式の電話(プッシュ式の普及により)、カセットテープ(CDの普及により)、かっとびスカーレットなど、この時代ならではの品物が数多く出てきますが、一番のポイントは女のしたたかさと強さです。

80年代を堺に女が大きく変わったと思います。80年代の最大のスターといえばあの松田聖子。あざといまでの嘘泣きとぶりっ子。でありながら、男を踏み台にして、その後大きく羽ばたいて行ったのは周知の事実です。愛のために全てを捨てた百恵ちゃんは70年代までの化石の女。マユの中には今の世を彷彿とさせるたくましい要素がいくつもありました。

夕樹との初エッチでは「あなたが初めて」と、ほんの数日前に辰也の子供を堕胎したのに平然と言ってのけるあたりは、まさにその表れです。童貞が相手なら、そのくらいのことは社交辞令として普通に言いますよ。言って減るもんじゃないし…。だって「はじめまして」のご挨拶ですからね。「いただきます」という感謝の気持ちは必要なのです。

とにかく、恋愛において女がリードする時代を作った原点は80年代です。そういえばこの頃流行った服は、戦闘服を思わせるような肩パット入りでしたよね。それを見てもわかるように、女は恋で勝負するのです。

まとめ

以上がこの映画の感想です。別に二人の”鈴木”が別人であるかどうかのトリックがなくても十分に楽しめます。むしろ同じ人間に思わせる方が無理があります。いくらダイエットなどの自分磨きをしたって、夕樹がイケメンの辰也になれるわけがない!子役と大人というのではないのですから。 キャスティングの影響からか、劇場には20代くらいの若い女性たちが目立ちました。

でも本当に観て欲しいのは、この80年代にイニシエーション・ラブを経験した40代以上の世代です。世代によって、男女の違いによって意見が別れると思いますが、大昔にイニシエーション・ラブを経験して何十年か経つと、あの時の恋なんて今となっては喜劇にしか思えなくなります。「あれれ?なんで私、あんな男に熱をあげたの?」「アイツ、アホだったけど、私も大アホだわ」ってね。それが大人になるってことさ、フッ。

というか、あの時の男と会ってこの言葉をぶつけてみたい。ああ、ついでに。できることならマユの30年後も続編として作っていただきたい。

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