世帯が違う兄弟間の扶養義務について考えてみます。私も今、その渦中にあり、法律はどうあれ放棄したいです。
つい先日、友人からも扶養義務についての相談を受けました。
「神戸にいる叔母さんの面倒を私にって、ケアマネさんが言うのよ」
彼女以外身寄りのない91歳の叔母さんについて、「そろそろ東京に呼び寄せたらどうか」と言われたそうです。
「自分たちの生活だって大変なのに、いくら身内とはいえ叔母さんまで?」
そう思う方は多いと思います。
民法877条
これは「直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養をする義務がある」という民法877条1項・2項に基づいたもの。
その範囲は叔父・叔母、甥・姪の三親等以内の親族にも及ぶため、姪である彼女にこのような打診が来たわけです。
強制力はないのに「義務はある」ってどういうこと?
この場合は生活扶助義務といって、あくまでも彼女が通常通りの生活をした上で、さらに「余力があるならそうしてください」という意味。
生活扶助義務とは、扶養義務者が経済力に余力があり、要扶養状態にある権利者に健康で文化的な最低限度の生活を援助する義務を意味する。扶養義務者が自己の生活を犠牲にすることなく、余裕がある限度で援助すれば足りる点で生活保持義務とは異なる。また、生活扶助義務は未成熟子・配偶者以外の親族一般に対する義務とされる。
情報源: 生活保持義務とは -意味/解説/説明 | 弁護士ドットコムで法律用語をわかりやすく
したがって表向き「義務がある」としながらも、自分たちの生活で手いっぱいとなれば、従う必要はありません。
そこで矛盾が生じます。「義務」とはなんぞや?
1 人がそれぞれの立場に応じて当然しなければならない務め。「―を果たす」⇔権利。
2 倫理学で、人が道徳上、普遍的・必然的になすべきこと。
3 法律によって人に課せられる拘束。法的義務はつねに権利に対応して存在する。
情報源: ぎむ【義務】の意味 – goo国語辞書
この場合は3番目の”法律によって人に課せられる拘束。法的義務はつねに権利に対応して存在する“が、これにあたります。
納税の義務や義務教育など、法律上「義務」と名がつけば、「絶対に遂行せよ」といった強制力をイメージします。
しかし民法877条はそうではなく、自分の状態によっては従う必要はありません。
それなら何も法律として定めるのではなく、道徳教育程度に留めておけばいいのにって思いません?
これ、ハッキリ言って問題だらけの法律ですよ。
果たして今の時代に合っている法律か?
大昔、まだ家制度が根強い頃に作られた法律を、核家族化が進んだ現代に当てはめようとすること自体無理があります。
まして今は「自分たち家族が生きていくだけで精一杯」という人の方が圧倒的に多いわけだから、こんな法律を残しておく意味があるのかと疑問でなりません。
欧米先進国は夫婦と未成年の子どもまでとするのが一般的なのに対し、日本では兄弟姉妹含め三親等まで範囲を広げるから、広げた分だけ苦しむ人が増えるわけです。
この法律で苦しむ人が多い
実際に「兄弟 扶養 義務」のキーワードで調べてみると、ニートや引きこもりなどで働かない兄弟を持った人たちの悩みや不安が、いかに多いことかと驚きます。
事実友人は叔母さんのことに頭を抱え、私は義兄に頭を抱えているわけで、それもこれも、あってないような法律をいつまでも見直すことなくそのままにしておくからこうなるのです。それだけでなく、「いずれ親族の誰かが助けてくれるから自立する必要はない」という甘えを生みだす恐れだってあります。
しかしこれは扶養義務がある側から見た時の意見。扶養される側は、(もちろん”みんなが”とは言いませんが)「親族だから扶養するのが当たり前」と、感謝どころか助けてもらうのを当然くらいに考える人がいるのも事実。
酷いのになると「お前が勝手にやった」と言いだす人や、「やり方が気に入らない」と、文句タラタラの人もいるそうな。
こうなると道徳や法律はどうあれ、心情的には「バカバカしい」となるわけです。そうでなくてもそこに至るまで、その人を取り巻く周囲の親族は、過去さんざん悩まされ、苦しめられてきているため関係も悪化しているケースがほとんど。
実際私たちも前回の入院で、さんざんな思いをしました。
夫婦なら離婚できる。でも親族となればそうはいかない。本人同士が絶縁したって、法的にはどこまでいっても親族なのです。だから何かあればその都度呼び出される。親族にしてみれば、たまったものではないでしょう。
「国民を苦しめるためにある法律なのか」と、甚だ疑問。それが親族にとっての大きな悩みです。
ソーシャルワーカーから家族へのアドバイス
今回の入院で、ひとつだけホッと胸を撫で下ろした出来事があります。それは担当した医療ソーシャルワーカーがとても親身になってくれたことです。頭のいい人だと思いました。
親族が関わらない方がいい場合もある
前回の失敗も含めて、これまでの事情を一通り説明しました。その上で、私たちができるだけ関わらずに済むような形を取ってくれました。これは同じ失敗を繰り返さないための策です。
本人の意思でアルコール専門病院に入院するよう仕向ければ、「(周囲から)無理やり入院させられた」という意識を持たずに済みます。根気よくアルコール治療の必要性を説得してくれたおかげで、本人はその気になって今日、無事転院に成功。
その上で親族である私たちにもいくつかアドバイスをしてくれました。これは同じような悩みを抱える方にも当てはまると思うので参考にしてください。
- 自分たちの生活を第一に考えること
- できることとできないことをハッキリさせること
- 「親族だから」とは考えず、できないことには毅然とした態度で拒否すること(これが最大のコツだそう)
- 責任感はほどほどに。無理に抱え込まないこと
- けっして尻拭いはしないこと
今まで何人かの医療ソーシャルワーカーに会ってきたけど、こういうことをちゃんと言ってくれた人はこの方だけです。
お金の件にしても、通常入院となれば「こちらもビジネスだから」と連帯保証人のサインを迫ってくるのがほとんどです。ところが「最低限の連絡先ならなってもいいけど保証人にはなれない」と言えば、それ以上無理強いはしてきませんでした。
前回一方的に疑われて、イヤな思いをしたこちらの気持ちを察してくれたのでしょう。むろんこの方だって職業柄、民法877条の存在は知ってるはず。ところがそんなことはひと言も口にしませんでした。ありがたいことです。
医療ソーシャルワーカーもいろいろ
今日は転院の手続きで、次の病院のソーシャルワーカーとも会いました。
その人はどちらかといえば病院スタッフとしての立場で接しているような印象を受けました。だからかなりしつこく保証人のサインを迫ってきたし、二言目には「家族だから」を繰り返す人でした。
でも保証人のサインには応じない姿勢を貫いたので、その件に関しては病院側で考えるでしょう。それにしても家族って、いったいどこまでを家族というのでしょうね。最低でも”家族”か”血縁者”か程度の、言葉の使い方くらいわきまえて欲しいです。
最後に
無事に転院にこぎつけたとはいえ現状は予断を許せない状態にあります。経済はガタガタ、内臓はボロボロ。命が尽きるのが先か、財産をなくすのが先か、という状態は変わらず。
しかも本人にはその自覚がないようで、次の転院先のソーシャルワーカー曰く「仕事の内容や教育水準を考えれば、わからないはずはないだろうと思うのに、どこか他人事のような浮世離れした印象を受けた」そうな。前途多難です。
以上、この件に関しては引き続き、新しい動きがあるごとにお伝えしていきます。
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