元プロレスラーでタレントの北斗晶さんが乳がんになり、連日彼女の病状に関する報道が流れています。
北斗晶さんといえば、口は悪いけど、愛情溢れる肝っ玉母さんというイメージ。
優しいご主人と素直な子供たち、あのご家族を嫌いだという日本人は少ないでしょう。
けれど、報道、あるいはご夫婦のブログから流れてくる情報はとても厳しいものです。
なんとか克服して元気な姿で戻ってほしいと願うと共に、「5年生存率50%」という重大な事実を、私を含めた見ず知らずの人たちが共有していいものかと、ガンの公表について考えてしまいました。
今のように芸能人が自身のガンを公表するようになったのは、フリーアナウンサーである逸見政孝さんからだったと記憶しています。それまではひた隠しにするのが一般的でした。
以下の会見で、詰めかけたリポーターから「生還してください」という、心からの拍手で見送られた逸見さん。
命の期限を告げられたにも関わらず、自身の言葉で率直な胸のうちを明かした勇気ある姿に多くの人がエールを送ったものです。
この会見の中で、逸見さんはガンを公表することは、ガンと闘う決意の表明だと語っていました。
私自身は命に関わる病気をしたわけではないので、想像でしか物を語れませんが、北斗晶さんも同じ思いかもしれません。
でもね…。このような重大なことを知らされると、何もできない自分の無力さを、また思い出してしまうのです。
今からちょうど2年前、親友からステージⅢの胆管がん、余命1年という事実を知らされました。
その親友の百か日法要は先月末のこと。彼女の死からやっと3ヶ月経った今、本当にいなくなっちゃったんだなという思いがある中で、今でも時折彼女の声が頭をよぎります。
彼女の死をまだ現実のものにできない自分がいるのです。私の名前を呼ぶ彼女の声をもう一度聞きたい、今まで何度も私の名前を呼んでくれて、それがこれからもずっと続くものと思っていたのに、それが永遠に途絶えてしまう恐怖。これが残された者の現実です。
親友は、死の数日前、声をあげて泣きました。「自分がこんなに苦しいんだから、これからもっとガンのことを勉強して、人を助けたい。もっとやりたいことがあるのに」と。長い付き合いの中で、彼女が泣く姿を見たのはあれが最初で最後です。
会見の中で、北斗晶さんの「同じ病と闘っている人のために」という言葉と同じで、それを聞くとどうしてもあの時の情景が蘇るのです。 せめて自分が苦しい時は、人のことより自分のことを第一に考えてと、これはたいせつな人を亡くした側の正直な気持ちです。だってもう、十分人に勇気を与えてきたのですから。
ガンの公表というのは本人のためでもあり、同じ病と闘う人の励みになるかもしれません。
でもたいせつな人を亡くした直後の人間にとっては切なすぎます。10年、15年と時が経って、「実はあの時5年生存率50パーセントって言われたのよ、あのヤブ医者が」と、豪快に笑い飛ばしてくれた方が、今の私には心から「よかったね」と言えるのです。
最新情報をお届けします
Twitter でvioletをフォローしよう!
Follow @violet2005