「独善とは善意の服を着てやってきて、嫉妬はいつも正義の服を着てやってくる」
タモリはいいこと言いますね。陰湿な女のいじめの多くは嫉妬が原因です。
中でも特に厄介だと思うのは、世間体を重んじるあまり、表面的には「正しい人」の体を保ちつつ、軽くチクッと、なにげない会話の中で小バカにしたような、棘のある言葉を投げかける人。
そういった二面性のある人は、自分の中にある「無意識の悪意」から目をそらしているのでいじめをしている自覚がありません。世間的には正義の服を着た、一見「正しい人」の姿をキープしているので、露骨に嫉妬心をぶつけてくるようなことはありませんが、影でコソコソ足を引っ張るような工作をします。
人を巧妙に陥れる
以前みんなで和気あいあいと喋ってたとき、(悪い意味ではなく)ある人の話題に話が及んだことがありました。すると突然誰も知らないはずのその人の過去の失敗談を、にこやかな顔(これがいやらしい)をして披露する人がいました。たまたまなにかのはずみで名前が出ただけなのに、彼女が口にした内容は、それまでの話題とは全く関係がなかったため「なんで今、このタイミングでこんなことを言う必要があるの?」と思いました。でもすぐにピンときました。
「ああ、この人の目的は情報操作だ。貶めるためにマイナスの印象を周囲に植え付けたいんだ…」
悪質だと感じたのは、はっきりとしたわかりやすい悪口ではなく、それとなく匂わせるやり方だったからです。表立って露骨な嫌がらせはしないけど、いじめを助長する取り巻きタイプの小者(いわゆるチクリ魔がよくこんな手を使います。
しかし当人はまだ、この段階では自分が抱いている「無意識の悪意」には気づいていません。
無意識の悪意
「無意識の悪意」とは、人と人とが親しくなって距離を縮めていく中で芽生える、本人も意識下ではまだ気づいてない「本物の悪意」——極端に言えば「憎悪」に変わる前の、小さな嫉妬の芽です。
付き合いだした当初は、適度な距離を保ちながら交流します。それからどんどん親しくなって、気心が知れて互いの距離が縮まると、今度は本人も気づかない「対抗意識のようなもの」が徐々に芽生えてきます。
この段階でもまだ、本人は自分が抱いている「小さな嫉妬の芽」に気づいてません。
それからもっと時間が経過して、相手との距離が近くなればなるほど、小さな芽だった嫉妬心はさらに肥大します。この頃になると「無意識の悪意」はハッキリとした「敵意」に変わります。
するとそれが言葉や行動の端々に表れて、批判めいたことを言ったり、無視したり、行動をコントロールしようとしたり、人を小バカにするような態度を取るようになっていくのです。
プライドと劣等感の争い
この手のタイプは無駄にプライド(人間の尊厳という意味ではない)が高く、「自分はいつも正しい」と思い込んでます。
誰からも必要とされたい。中心人物でありたい。立派な人だと思われたい。評価を得たい。
だから世間的には「正しい人」であるかのようにソツなく優等生的な振る舞いをしますが、内面には計り知れない劣等感を抱えています。しかしプライドが邪魔するためか、その部分を意地でもガン無視。自分が劣ってるとは断じて認めたくないのです。
その無視された感情が怒りへと変わり、次々と問題を引き起こしていくのです。
分が悪くなると強者に依存する
子供の頃、クラスにこんな子がいませんでしたか?
「先生〜、何もしてないのに○○ちゃんがボクをいじめた〜」
実は言いつけた子の方が先にちょっかいを出していても、その部分を言葉巧みにごまかして泣きつく、そんな子。
ごまかす時点で自分が間違ってることはわかっているはず。でも感情がそれを許さない。だから強者である先生に泣きついて、救いを求めるのです。
そんな子にとってのいちばんの武器は、「自分がいじめられた」という被害者としての立場。被害者である限り相手は悪になるし、周囲からの同情を得て守ってもらえると信じ込んでいるのです。
これは子供だけでなく大人の世界でも通じることです。
やたらと被害者意識が強い人は、窮地に陥ればチクリ魔の本領発揮とばかり、強者に依存して、勝ち馬に乗ろうとします。──けれど残念ながら、馬の選び方は下手。泣きつく相手は口の軽い、噂話好きの駄馬ばかりを選びます。
見る人が見ればいくら言葉が巧みでも、起きた事実とその結果だけで判断できます。しかし子供とは違い、大人の場合は余計な悪知恵が加わります。
そこに小者特有の執念深さも加わり、根本にある自分の嫉妬心や悪意を「正義の服」の下に閉じ込めて、加害者のクセして被害者ヅラし、力のある人に寄りかかることで安心を得ようとしているのです。勝ち馬(駄馬だけど)に乗ったことで、自分が強くなった気になりたいのです。
病的に嫉妬深い人にどう向き合う?
問題は、こういう人が身近にいたときにどうするかですよね。厄介なだけに取り扱いを慎重にしなければなりません。
恐ろしいほどの劣等感を抱えた人は、どんな些細なことにでも嫉妬します。その嫉妬深さは「こんなことにまで?…」というくらい規格外のレベルです。なので自分の情報を一切与えないのは基本中の基本。そのためにはおしゃべり雀とは距離を置き、接触は必要最低限に留めましょう。
私はいつも「コイツ、ヤバい」と思った時は、ソク距離を取りながら「他人行儀」に徹します。
どんなに付き合いたくない相手でも、最低限の礼は尽くす。でもそれ以上の礼は一切尽くさない。もちろん情けもかけない。心を開かずまともに向き合わない。そうやって相手につけ入る隙を与えないことが、自分の立場と心を守る鉄板の処世術です。この時のキーワードは「他人行儀」。つまり”他人”であることをアピールするために、あえて”行儀”よく振る舞うこと。相手にそれ以上乗り越えられない高い壁を作るのが目的です。
こうすれば「ゲスなネタを受け入れてくれるだろう」というあなたに対する甘えは少しずつなくなっていきます。礼儀さえ守っていれば、相手だって難癖のつけようがなくなるから、あなたがターゲットにされる恐れもありません。一石二鳥です。
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