以下の記事を読みました。なんだかすごくよくわかるなと、いちいち頷きながら読みました。
忘れてはいけないのは、「誰かが誰か自身を書いた文章」には、かならず「見世物小屋」的な感覚があり、一歩間違うとそれは「精神的なリストカット」になるのではないかということだ。そして、みんな、あまりにも無邪気に「自分をさらけ出した」文章(やコミックエッセイ)をとうとんでいるように思う。
〜中略〜
どんどん自分をさらけ出していかざるをえなくなるように思う。さらけ出したコンテンツによって評価され、「さらけ出さないコンテンツ」に移行できるならいいんだけど、「さらけ出し続けないといけない」と思ってしまう人、その後も読み手の期待に答えてさらけ出し続けている人、があまりにも多い。
情報源:「誰かが誰か自身をさらけ出した文章」を読むということより抜粋
ブログをはじめとするネット上で、自分をどこまでさらけ出すか?
自己開示をしているつもりが、実はネットで自分のプライベートを切り売りしているだけではないのか?
ネットで文章を書いている人なら、一度は考えたことがあるテーマではないでしょうか。自分を切り売りするのと自己開示は、似て非なるもの。
この記事ではそんなお話しをしていきます。
ネットで自分を切り売りすることへの違和感
それにしても最近は本当に、ネットで自分を切り売りする人が多いですよね。そういった芸風を売りにしているのかもしれないけど、大きなお世話ながら「こんなことまで書いちゃって、ご家族に影響は及ばない?」なんて思ってしまいます。
昔の常識、今の常識
私がネットを使いだしたのは、今から20年くらい前。当時は顔出し・実名はもちろん、個人を特定されそうな情報を、ネットには垂れ流さないというのが常識でした。
当時ほとんどのブロガーさんはハンドルネームを持ってました。オフで会う時も、ハンドルネームで呼び合い、立ち入った話はしない、というのが暗黙のルールでした。
その後私生活が忙しくなったので、前のブログは閉鎖。しばらくネットと無縁の生活を送っていた、そんなインターネット老人である私がカルチャーショックを受けたのは、このブログを作った2013年以降です。ネット上で有名とされているいくつかのブログを読んだときは、浦島太郎状態だと実感しました。
壮絶な過去を赤裸々に綴るブログあり。自分のことだけでなく、家族のことまであけすけに書くブログあり。セックスレス離婚なんてことまで平気で書いてるブログを読んだときは「へぇ〜今はこういうのが読まれるブログなんだ」という驚きと、「この人たち、大丈夫?」という一抹の不安。
さらに驚くことに、「人生の経験値が違う!」と、それを絶賛する人の存在。
それを受けて当の本人はどんどんエスカレートし、自己顕示欲を満たすために調子に乗って書くべきじゃないことまで平気で書いてしまう有様。こういった人を見るにつけ、後に触れる自己開示と自分を切り売りすることの最大の違いは、エスカレートするあまり、書くべきじゃないことまで書いてしまうかどうかと、それを書いたことによって信頼を失くすかどうかだと思うようになりました。
さらにもっと驚くのは、この手の輩を反面教師にするどころか右へ倣えとばかり、自分を切り売りするブロガーが、わんさか続出していること。露出狂なのかな?
際どい写真集を出すタレントと同じ
ほら、旬もピークを過ぎた「あの人は今」みたいなタレントが、また注目を浴びたくて、話題作りのためにきわどい写真集を出すでしょ?
それが一人二人ならまだいい。でも脱ぐべきじゃない人までもが人の迷惑も考えずに脱いでしまう、そんなとんでもオバさんが、次から次へと出てきたら、世も末だと思うでしょ?胸焼けするでしょ?
それと一緒です。これが今ドキの常識であるなら、その常識の元になったのはなんだろうと思いました。
ネットの自己開示の難しさ
その疑問はほどなくして解けました。もちろん全てが、とは申しませんが「初心者ブロガーから金を巻き上げようとしている一部のブロガー」や、詐欺まがいのセミナー主催者たちの存在を知ったからです。
「自己開示してファンを獲得しろ!」
彼らは口を揃えてこう言います。「一般人であれば、ネットに個人情報を出しても、生活には影響ない」とまで言いきる人もいます。それにしても20年前より今の方がはるかに個人情報の取り扱いは厳しくなっているのに、ずいぶん時代に逆光したことを言ってますよね。
自己開示とは
自己開示とは、自分自身に関する情報を、何の意図もなく、言語を介してありのままに伝えることを指して言う。しかし実際には、本人が自分自身の姿を正確に認識していない場合や、受け手側の意図が入り、誤認する可能性もあるため、必ずしも一定の意図のもとで伝達できるとは限らないと言える。
情報源:コトバンク/「自己開示とは」より抜粋
簡単に言えば、「私はこんな者です」と伝えることで相手に安心感を抱かせる、信頼関係を作るための、ひとつのテクニックです。
例えば「私は犬を飼ってます」と伝えると、犬好きの人はその話題に飛びついてきて、そこから一気に話が弾むというのはよくあること。
初対面でも自分からどんどん情報を提供すれば、短時間でも親近感を抱かせるので、私も美容師時代、新規のお客様にはよく実践してました。
でもこれは、とても難しいテクニックです。相手あってのものだから、さらけ出しても良い部分と、さらけ出してはいけない部分の線引をしっかりしておくのは当然のこと。いきなり何でもかんでもさらけ出せば、ドン引きする人はドン引きします。「距離感考えろ!」ってね。
ただリアル生活なら、少なくとも目の前にいる相手の表情が確認できます。ラポールが築けたかどうかが、肌感覚でわかります。
ところがネットはそうはいかない。誰がどんな意図を持って読んでいるかもわからない。書き手の伝えたいことが、読み手にそのまま伝わる保証もない。伝わってこその信頼なのに、伝わらなければ意味がないどころか、炎上して信頼失墜なんてことになったら、何のための自己開示かってことですよ。まぁ炎上の多くは、自己開示と自己顕示を履き違えているのがほとんどですけどね…。
一記事ごとの積み重ねがだいじ
私には好きなブロガーさんが何人かいます。もっぱら読むに徹して、特に交流はしてません。
でもブログって不思議ですよね。毎日読んでいると、その人のことがなんとなくわかる気になるのです。知った気になれるのです。
これを逆に言えば、不必要に自己開示や切り売りなんてしなくても、焦って際どい写真集なんて出さなくても、本当に魅力的な文章を書き、誠実にそれを積み重ねてさえいけば、結果的には信頼に繋がると思うのです。
奇をてらって手っ取り早く話題作りをしようと目論んでもその場限り。後は泣かず飛ばずで事態は前より悪くなったという例があるように、ネット上の切り売りは、全身デジタルタトゥーという、人生においての最大の汚点となるリスクを孕んでます。
自分のブログは何を書くのも自由です。ただし自由と責任は、常にワンセット。どうなったとしても、自分だけなら自業自得と言えるでしょう。でも自分の周りにいる人までもがその被害を被ることになったら、私生活でも生きづらくなってしまう恐れがあるのです。
そのあたりのことをじゅうぶん考慮し、今の流行りのスタイルがこうだから、影響力のある人がそうしているからこう言ってるからと、安易に右へ倣えをせず、ぜひ自分のスタイルを確立してください。その過程を楽しんでください。以上です。
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