おわら風の盆は立春から数えて二百十日頃、毎年9月1日から3日にかけて富山市八尾町で開催される、富山が、いや、日本が誇る民謡行事です。
私は初日の9月1日に行ってきました。これ以降、初めて見たおわら風の盆の感想を書いていきます。
300年の歴史を持つおわら風の盆
まずおわら風の盆についてざっくりと。
越中おわら節の哀切感に満ちた旋律にのって、坂が多い町の道筋で無言の踊り手たちが洗練された踊りを披露する。艶やかで優雅な女踊り、勇壮な男踊り、哀調のある音色を奏でる胡弓の調べなどが来訪者を魅了する。おわら風の盆が行なわれる3日間、合計25万人前後の見物客が八尾を訪れ、町はたいへんな賑わいをみせる。2006年(平成18年)に、「とやまの文化財百選(とやまの祭り百選部門)」に選定されている。
情報源: おわら風の盆 – Wikipedia
八尾の11の町が開催地区
東新町、西新町、諏訪町、上新町、鏡町、東町、西町、今町、下新町、天満町、福島、11の町がおわら風の盆の舞台です。
各町が自主的に行うため、お祭りによくある一同に会して繰り広げられるような、派手なパフォーマンスはありません。幻想的でしっとりとした格調高い儀式、それがおわら風の盆です。
郷に入れば郷に従え
さてここからが本題、初めておわら風の盆を見学した私の感想です。
人気のイベントということで、初日から多くの観光客が八尾につめかけていました。
夕方5時から7時までは踊り手さんや地方さんの休憩時間ということで、私たちもその時間に持参したお弁当で夕食をすませ、「日本の道百選」に選ばれた諏訪町本通りに向かいました。
夜7時、賑わいはピークに
風情ある昔ながらの格子や土蔵造りの家と石畳、その両脇には水路とぼんぼり。まるでどこかの時代にタイムスリップでもしたような、そこだけ時間が止まったかのような、なんとも言えない不思議な感覚。
静寂がよく似合う、このゆったりとした時間の流れに身を置きたいと願っても、次の瞬間には現実に引き戻されます。みな我先にと場所取りを急ぎ、時間を追うごとに増えていく、人、人、人…。
殺気立つスタッフ
夜7時。あたりが暗くなり、ぼんぼりの灯りで町がオレンジ色に染まる頃には身動きが取れなるほどの賑わい。町の運営スタッフは、あたふたと忙しそうに走り回ります。
「ここから先へはもう行けません!」と追い返すわ、「(カメラの)フラッシュは切ってください!」などなど、案内というより殺気立っている雰囲気満載で、情緒を楽しむどころじゃない。
やがて逆ギレ
ある観光客が「何時頃通りますか?」と質問したところ、なぜか逆鱗に触れたらしく、逆ギレ気味に「待っていればそのうち必ず来ます!」から始まり、運営スタッフはさらにこう続けます。「舞はお花代に対するお礼だ」と。しかもそれを数メートルごとに繰り返し叫んでいました。
その光景に驚いたのは私。質問者はただ純粋に、「どのくらいで来るのかしら?」と聞いただけなのに、なんでお花代の話にまで発展するの?
もしかして、「遅い」とクレームをつけられたと勘違いでもした?という具合に、頭の中はもうクエッションマークだらけ。
意味がわからないっちゃわからないけど、私なりに直訳してみれば「ご祝儀をもらった家の前で踊りを披露するけど、外から勝手に来たご祝儀も出さないあなた達は見せてもらう立場だから、黙っておとなしく来るまで待ってなさい」ということなのでしょう。
でも正直、この段階ではやや引き気味でモヤモヤしました。それは私だけでなく、謎のケンカをふっかけられた気分に陥った他の観光客も、「花代出せってこと?」みたいな、いきなり怒られてわけのわからないモヤモヤを抱えていたようです。
どうやら観光客のマナーの悪さに辟易しているらしい
なんで逆ギレしたのだろう?
「ああそうか、そういうことか」と謎が解けたのは、帰ってきてから読んだこの記事。
見る側のモラルが非常に悪いと感じる出来事もありました。突然の雷雨による会場変更であったため、踊り手の準備も大変だったようで午後8時開始のところが15分ほど遅れての披露となりました。この間、中高年の観光客が「もたもたするな!」「はやく始めろ!」等、罵声を上げてました。
また、大声は上げて無くとも近くにいた観光客達は「せっかく見に来てあげてるのに、なにグズグズしてるのかね?」という、心ない会話をしてました。そのような感覚で見る踊りでは無いと諫めたのですが、お客様気分で来てた彼らには理解できなかったようです。
情報源: 越中八尾おわら風の盆を見るに当ってのマナー -こっそり支援
おわら風の盆で有名な富山市八尾町が観光客のエゴに困惑しているという。観光客の都合に合わせて踊らないとか、勝手におしかけてきて言いたい放題という。
情報源: 9/3 八尾の混乱にみる観光立国政策の過ち: きょうも歩く
そう言えば、と思ったのは「フラッシュ撮影禁止」と言われたそばからスマッシュたいて撮影する、言うことをきかない輩が右の上あたりにいます。
つまり近年のブームに乗せられて訪れた観光客は、彼らにとっては迷惑な存在。おわら風の盆のなんたるかも知らないよそ者は、例え高い旅行代を払って来たとしても、この町で我が物顔をしないでくれという感じでしょうか?
「郷に入れば郷に従え」という言葉もあるように、その町に行ったら、理解するまでいかなくても、じゃまにならない程度によりそうことがだいじ。町の人たちも玄関先に椅子を出してくれるなどの配慮をしてくれているわけですからね。
おわら風の盆は町に暮らす人たちの誇り
躍り手は小さな子供から20代半ばくらいの若い層が中心。長い時間なので、途中、小さな子供は疲れて踊るのを嫌がる光景がありました。それを見て、保護者らしき人が抱きかかえようとしたところ、残りたいと駄々をこねます。
「疲れてもういやだけど、ここにいたい!」そんな気持ちなのでしょう。
なにげなくみすごしがちな微笑ましい光景。でもそれひとつ見ても、八尾に暮らす子はあんな小さなうちからでもおわら風の盆を特別なものと認識しているのだと、そう感じました。
親から子へ、何代にも渡って脈々と受け継がれ、町の人たちが大切にしてきた特別な行事。おわら風の盆は「八尾の、八尾の人たちによる、町民のための行事」であって観光客のための見せ物ではないということです。
あんな小さなうちから躍りを練習してきているわけだから、大人になる頃には熟練の域。そうとうな練習を重ねてきたことが立ちふるまいに表れています。男性はどこまでも力強く、女性は優美でしなやか。それはもう、うっとり見惚れるほど。
だから人気になるのはよくわかる。でも人気になればなるほどおわら風の盆本来の良さとはかけ離れていくように感じました。少なくとも時間に制限のある観光ツアーで行く場所ではないことだけはわかりました。
もし次に行くなら難易度は高いかもしれないけど、ツアーではなく、自分で近くにホテルを取って人が少ない深夜から明け方の時間帯にのんびり静かに見たい、そう感じました。以上です。
おわら風の盆・詳細はコチラ!
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