台風の近づいた昨日、余命1年の宣告を受けた友人のお見舞いに行ってきました。行ったのは夕食前の5時ころ。昼前から雨が降り出し、夕方には土砂降りになっていたけど、会えるのは昨日しかありませんでした。
というのも、今日が二度目の抗がん剤。そのあとはしばらく具合が悪いだろうし、週末には退院するから。そのため、もし行っても、具合が悪いなら会わずにそのまま帰ろうと思っていましたが、昨日は朝から調子がよかったため、無事に会うことができました。
いつもと変わらぬ可愛い笑顔。調子が良いというだけあって、病人には全く見えません。彼女が癌だなんて未だに信じられません。色々話をしました。この数ヶ月のことを。
私が「何かの間違いであって欲しい」と言ったら「私も何度もそう思った」と・・。その言葉が切ないです。そう、きっと誰よりも本人が一番そう思うに違いないのです。
「来月の紅葉見物、私も行きたかったなぁ」と言うので、「来年行けばいいよ」と返事をしました。
来年のことなんて・・。彼女かどんな状態になっているか、今は全く予測がつかないけど、一緒に行きたいです。来年だけでなく、来年も再来年も、10年先も、ずっと一緒に季節の移ろいを感じたいのです。
高校卒業後もずっと一緒に過ごしてきました。新年会から始まり、春のお花見、初夏のハイキング、夏のお盆にはビアガーデン、秋にはまたハイキングとか・・。若い頃にはテニスなんかもやったよなぁ・・。そして冬の訪れを感じる頃には「一年、あっという間に過ぎたね」と言いながら忘年会をやったり・・。
女だけのクリスマスを過ごしたこともあります。それはただ単に、男っけがなかったに過ぎないのだけど、強がって「男子禁制」とか言いながら。
思い出は尽きません。高校3年間同じクラスでした。先生に隠れて休み時間におやつを食べました。同じバドミントン部でした。
彼女は下手だったから、一度も試合に出ることはありませんでしたが、いつかまた一緒にバドミントンをするのが夢でした。それなのに・・。
ふと、自分の悩みがものすごくちっぽけなものに思えてきました。私が心配する来年のことと、命の期限を告げられた彼女にとっての来年のことは、比べ物にならないくらい重いものです。
クラブがどうなろうと、生きてさえいればどうにでもなることです。そう思ったら、くだらないことでくよくよするのはやめようと、穏やかな彼女の顔を見てそう思いました。
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