日常よく見聞きする言葉の中には使い方が難しいものがあります。「かわいそう」もそのひとつで、使い方によっては相手の気分を害することがあります。
ほぼ日刊イトイ新聞・今日のダーリンにこんな一文がありました。
人それぞれの感じ方があるのかもしれないが、ぼくは、小さいときから「かわいそう」と思われるのが、なによりもいやだった。
「かわいそう」と平気で言う人のことを、ご親切にありがたいとは到底思えず、早くそこからいなくなってくれと思っていた。
あんたが言ってるそのことばが、ぼくの、いちばん言われたくないことばなんだと怒っていた。
ほぼ日刊イトイ新聞─今日のダーリンより引用
「他人から「かわいそう」と、思われるのも言われるのもいや。」という内容です。この「かわいそう」については他にもこんな書き込みがあります。
「かわいそう」は、本当に失礼な言葉なのでしょうか。
憐れみ、同情、それはまだいいとして、その背後にある優越感のようなもの、そう言っている自分に満足している感じ、結局は他人事でしかないからこそ言える感じ、同情するふりをして、実はひどく批判している感じ、「かわいそう」と言いたいだけの感じ、そういったものを感じると、とても嫌悪感を持ちます。
「かわいそう」に嫌悪感。 : 生活・身近な話題 : 発言小町 : YOMIURI ONLINEより引用
「かわいそう」と言う人が苦手
「わかる気がする……」
そう思って読みました。私も苦手です。以前ある人から面と向かって「かわいそう」と言われたことがあります。前後のやり取りで相手が見下しているとわかり、それ以来、必要以上になんでもかんでも「かわいそう」と言う人に対して苦手意識を持つようになりました。ストレートにバカにするのではなく、笑顔でグサッと刺してくるような、そんな印象です。
だから私は人に対して「かわいそう」とは言いません。それでもたまに心の中で「かわいそうだな」と思うことはあります。
例えばテレビやネットなどから流れてくるニュースを見たとき──悲惨な事件や事故に巻き込まれた被害者に対して。親から暴力を受けて命を落としてしまった子供に対して。身勝手な人間のせいで不幸な境遇に置かれた犬や猫たちに対して……
「これはひどい。かわいそうだ」と、独り言のように、自然と口から出ることはあります。
私が「かわいそう」と思ったところでその人が抱えた問題が解決するわけでないのは百も承知です。でも心からの自然な反応としてそう感じてしまうのです。だから「かわいそう」という言葉自体は、必ずしも悪いものとは思っていません。心から他人を思いやってのものなら。
態度のほうが問題
しかし言葉は言う側ではなく受ける側がどう感じるかがだいじなので、もしあなたが誰かから「かわいそう」と言われてひどく不愉快に感じたとしたら、それは言う側の言葉選びが適切ではなかったということです。
口では「かわいそう」と言いながら、まったくかわいそうだなんて思ってはいない上から目線の態度なら、それは不愉快に感じて当然です。誰だって見下されたいとは思いませんからね。
そのようなシチュエーションでの「かわいそう」という言葉の裏には、本人も気づいてない無自覚の優越感が見え隠れしていることがほとんどです。しかも言ってる本人は、「慈悲深いやさしい私」のつもりでいるから、何かにつけて「かわいそう」を連発するのです。自分のために。
最後に
このように自分を飾るための「かわいそう」は、NGワード。
逆に相手に寄り添う気持ちから出た、心からの「かわいそう」なら、相手にも伝わるのではないでしょうか?
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